たそがれシネマ

最近見た映画など。

最近見た映画 (2016/08/11版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

シン・ゴジラ
初代ゴジラに匹敵すると言っていい邦画最高峰のディザスター・ムービーであり、また究極のお仕事映画なのではないかと思う。尾頭課長補佐こと市川実日子さんが意外な人気を博しているのがちょっと嬉しいです。

 

パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト
人生の最後に3曲だけ好きな曲を聴いていいと言われたら、ピアソラパコ・デ・ルシアムーンライダーズにすると思う。圧倒的なリズムの中に宿る熱情的な魂。このかっこよさが分からない人とは友達になれなくていい。

 

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ
落ちこぼれクラスの生徒達が、ナチスに関する研究発表を通して学ぶということ自体を学んでいく、という実話を基にした話。図体は大きくても中身はまだまだ発展途上な子供達が真剣になっていく様がいい。フランスの学校の他民族ぶりも見どころの一つ。

 

セトウツミ
大森立嗣監督はバディものに長けているかもしれない。菅田将暉さん×池松壮亮さんだからこそできたのかもしれないけど、ほぼワン・シチュエーションのみの会話劇だって映画は成立し得るという事実を、日本映画界は真剣に受け止めた方がいい。

 

いしぶみ
学徒動員で広島の爆心地にいてその後全員死亡したという男子中学生たちの記録を、広島出身の綾瀬はるかさんが朗読。杉村春子さんご出演の往年のテレビ番組の焼き直しらしいけど、こういうやり方ならリメイクの意味もあるのかもしれない。

 

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
1950年代のハリウッドに吹き荒れた赤狩りの嵐を生き抜いた脚本家ダルトン・トランボの伝記。映画好きの人はこの辺りの映画史の確認として見といた方がいいと思う。

 

ルドルフとイッパイアッテナ
原作な有名な絵本だとのこと。可愛いけど甘すぎないバランスのよさがいい。日本のごく普通の風景の中の四季の移り変わりの描写にこだわっているのもいい。

 

太陽の蓋
福島の原発の話は、いろいろな人がいろいろな思惑からいろいろなことを言っていて、何が真実なのかさっぱり分からない。ただ分かるのは、マスコミはあまり頼りにならないということと、人類には原発を御しきれる能力はないということだけだ。

 

太陽のめざめ
不良少年の更正をサポートし続ける人々を描いたフランス映画。残念だけど親は選べねぇんだよ!寂しさを言い訳にしてないで早く大人になんなよ!とちょっとイラっとしたが、彼の周りの大人達もきっとそう思っていたに違いない?

 

ヤング・アダルト・ニューヨーク
振り返ってみると、“ちゃんとやっていけている人間として蔑まれることなく扱われたい” という欲求(というか見栄)はあるけれど実際そうではなかった時代というのが、確実に存在していたように思う。ベン・スティラー様はそういう役を演じさせると抜群に上手いよね。

 

疑惑のチャンピオン
癌から生還してツール・ド・フランス7連覇という偉業を成し遂げるも、悪質な組織的ドーピングが発覚して永久追放になったランス・アームストロングの実話の映画化。それでも称号が欲しい人々との永遠のいたちごっこ。スポーツ業界の闇も深い。

 

眼球の夢
いかにも60年代~70年代っぽい由緒正しいアングラ映画といった風情。そして思った以上に“眼球”三昧だった。意味は分からなくてもドンマイ!それがアングラというものだから。

 

シン・ゴジラ】については別項にちょっとだけ書かせて戴いたので、よろしければご参照下さい。

今回は他にこのような映画も見ました。

 

秘密 THE TOP SECRET】はあまり成功した出来とは言えず、特に少しでも原作を読んだことのある人は見るのをやめておいた方がいいと思います。

そもそも、マンガならではの表現ではないかと思われる薪警視正の透明感や純粋性を再現できるような人材は、トウが立った人間ばかりである芸能界には存在していないと思われ(芸能界なんてそうじゃなきゃ生き抜いていけないような世界だからしょうがない)、この時点で、この作品を実写化しようという発想自体がそもそも大間違いなのだと確信せざるを得ませんでした。露口絹子役のキャスティングもひどい。原作とかけ離れた容姿はともかく、このような発展途上の演技力ではお話になりません。他もミスキャストの嵐なのですが、せめて松坂桃李さんが青木捜査官をやればよかったんじゃないかと思ったりします。
それならばせめて原作のエピソードを粛々と映像化すればいいものを、何故、原作では無関係のエピソードを無理矢理つなぎ合わせ、ドヤ顔でこねくり回した挙げ句に焼け野原にしてしまうのか。原作をきちんと読み込んでいないことが丸わかりのラストシーンもひどかったけど、不要なキャラの追加も意味不明。私は大森南朋さんは大好きですが、彼はハードボイルドをやらせるとどうしようもなくクサくなることがあるという悪癖があることを、事前に指摘したスタッフは誰もいなかったのでしょうか。
おそらく、そもそもジャニーズありきでなければこの企画自体が成立していなかったのかもしれず、いろいろと難しい面があったのでしょうが、結果的に、『龍馬伝』【るろうに剣心】の大友啓史監督ほどの監督さんであってもハマらなければどうしようもないということを証明したような映画が出来上がってしまい、かえすがえすも残念に思います。

 

他に、中村誠監督の【チェブラーシカ 動物園へ行く】と【ちえりとチェリー】の併映も拝見させて戴きましたが、【チェブラーシカ…】の新作は、ちょっと可愛らしい方向に寄せすぎなのでは?と思いました。チェブラーシカは確かに可愛いですが、オリジナル作品群のあの得も言われぬ哀愁は、どうしても必須の要素なのではないかと思います。【ちえり…】の方は、チェリーくんの造形は好きだけど、ヒロインのキャラクターには共感できる要素が少なく、もっと検討がした方がいいのではないかと思います。

 

【シリアの花嫁】の思い出

 

いくら書いてもいっこうにうまく書けませんが、やっぱり書いておこうと思って書きました。ご笑読戴ければ幸いです。

 

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最近、【シリア・モナムール】(2014年、シリア/フランス)というドキュメンタリー映画を見て泣きそうになった。

 

それはおそらく、以前に【シリアの花嫁】(2004年、フランス/ドイツ/イスラエル)という映画を見たことがあるからに違いない。

 

これは厳密にはシリアの話ではなく、かつてシリア領だったイスラエル占領下の国境の村の話だ。花嫁というのは国境を越えたシリア国内の親戚筋に嫁ぐことになっている娘で、一度国境を越えてしまうと、国の制度のために二度と故郷の村には戻れない。そうした状況下で暮らす一家の悲喜こもごもが映画の本筋で、それはそれでいろいろと考えさせられる内容だったけど、それよりもっと私にとって印象的だったのは、この映画の中に映し出されていた、シリア文化圏で暮らすごく普通の庶民の、ごく普通の日常生活だった。

花嫁の夫となる男性はちょっと名の知れたコメディアンで、花嫁らがその男性をテレビで見ているシーンが出てきたりする。花嫁の長兄は弁護士、次兄は外国で商売をしており、弟は大学生。姉も専業主婦をしながら大学で学ぶことを画策している。国情の違いがあるとは言え、若い世代の感覚はすこぶる現代的だし、彼らの生活環境は西洋社会のそれと基本的に大きな違いはないように見える。以前からイラン映画を見ながら何度も思ってきたように、彼らは、私達と地続きの世界に住む、私達と基本的に何も違わない人々なのだ。

 

そんな彼らの街がぼろくずのように破壊されてしまい、瓦礫に埋め尽くされているのを見るのは、胸が潰れる思いがした。

 

勿論、【シリアの花嫁】が架空の物語なのは知っている。けれど、あの物語に描かれていたような心優しい幾多の普通の家族の人々が、今、どこで何を考えながら生きているのか。そもそも無事に生きながらえているのだろうか。とついつい想像してしまう。

 

シリア難民は、シリア内戦が2011年に始まった後、元の環境で暮らせなくなり国内の他の地域や周辺の国々などに避難した人々のことで、2千2百万人の国民のほぼ半数が難民になってしまったのだそうだ。昨年からヨーロッパに流入するシリア難民の数が極端に増えたのは、トルコに逃れていた大量の難民が、トルコの国情の変化によりトルコを退去せざるを得なくなり、元々暮らしていた環境にもとても戻れる状況ではないため、ヨーロッパを目指す人々の数が増えたからだということだ。

 

ヨーロッパ諸国の人々にしてみれば、今までとは桁違いの100万人単位の人々が一挙に押し寄せて来たのでは、物理的にも経済的にも心情的にもとても対応しきれるものではないだろう。ヨーロッパが世論を分断するほどの大混乱に陥ったのは当然のことかもしれない。ただ、世論が真っ二つに“分断”されているということは、難民排斥に賛同する人々がいる一方で、今までヨーロッパが理念として掲げてきた道を堅持し、難民に手を差し伸べて救うべきだと考える人々も、まだかなりの割合で存在するということを示しているのではないかと考える。

 

近代のヨーロッパには多数の難民や移民を受け入れてきた歴史がある。私個人が一番最初にヨーロッパへの移民について知ったのは、【マイ・ビューティフル・ランドレット】(1985年、イギリス)という映画を見た時だったと思う。スティーブン・フリアーズ監督とダニエル・デイ・ルイス出世作で、パキスタン人の移民とプア・ホワイトの青年同士の純愛物語。男女の恋愛に少しばかり懐疑的になっていたその頃の自分には、あまりに眩くて心に沁み入る映画だったが、同時に、インドやパキスタンを植民地にしていたイギリスには、彼の地からの移民が多数存在しているということを初めて知ったのだった。

2000年代に入っても【ベッカムに恋して】(2002年、イギリス)なんて映画があって、こちらはサッカーをやりたいと願うインド系移民の女の子のお話だった。(余談になってしまうが、アメリカに渡ったミーラー・ナーイル監督の【ミシシッピー・マサラ】(1991年、アメリカ)や【その名にちなんで】(2006年、アメリカ/インド)などの映画では、海外のインド系コミュニティの暮らしぶりを覗くことができる。)

フランス映画では、マチュー・カソヴィッツ監督の初期の作品【憎しみ】(1995年、フランス)を見た時に、パリ市内にもフランスの植民地であったアルジェリアなどからの移民のコミュニティがあり、差別や貧困の中で暮らすそうした若者たちの不満がくすぶっていることを知った。

またその頃、フランスなどを舞台にしたいくつかの映画で、天安門事件後の中国からの政治難民の姿を見かけることが何度かあったように思う。

その後、アフリカから地中海を渡ってヨーロッパに渡る難民の存在を知ったのは、【13歳の夏に僕は生まれた】(2005年、イタリア)や【海と大陸】(2011年、イタリア/フランス)などのイタリア映画を見た時だった。どちらの映画も、イタリア人が海で難民船と遭遇するエピソードから始まっていたのだが、そりゃそうか。ヨーロッパから海を渡ればすぐアフリカ大陸なんだもの。アフリカの人々も、本国が戦火で混乱していたり、あまりにも貧しくて食べていけなかったり、などという状況が続いていれば、多少の危険を冒してでも生存可能な環境を求めようとするのは当然のことだ。そしてこの頃から、ヨーロッパのニュースの中にアフリカからの難民船の難破事故の話が散見されることが、少し分かってきた。

他にも、ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド人難民の少年を描いた【君を想って海をゆく】(2009年、フランス)、密航者の少年と初老の男性との交流を描いたアキ・カウリスマキ監督の【ル・アーヴルの靴みがき】(2011年、フィンランド/フランス/ドイツ)、【最強のふたり】の製作チームがパリで長年暮らす不法移民の青年を描いた【サンバ】(2014年、フランス)、難民申請をパスするため家族に偽装したスリランカ難民を描いた【ディーパンの戦い】(2015年、フランス)なんて映画もあった。また、【パリ20区、僕たちのクラス】(2008年、フランス)や【バベルの学校】(2013年、フランス(ドキュメンタリー))などの教育をテーマにしたいくつかの映画には、実に様々なバックグラウンドを持つ子供達が当たり前のように登場していた。他にも、難民や移民が登場するヨーロッパ映画を探っていくと、枚挙にいとまがないかもしれない。

 

こうした難民や移民の話を聞いていると、必ず思い出すのは、ドイツのファティ・アキン監督のことだ。

昨今、日本でのドイツ映画の公開本数が必ずしも多くない中で、カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭のすべてで受賞経験を持つファティ・アキン監督は、【愛より強く】(2004年、ドイツ/トルコ)、【そして、私たちは愛に帰る】(2007年、ドイツ/トルコ/イタリア)、【ソウル・キッチン】(2009年、ドイツ)、【消えた声が、その名を呼ぶ】(2014年、ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/ポーランド/カナダ/トルコ/ヨルダン)など、近作がほぼ全て公開されている数少ないドイツ人監督だ。というか、私はドイツ人の若手の映画監督というと、ほぼファティ・アキン監督しか知らないかもしれない。

このファティ・アキン監督は、ドイツに移住したトルコ系移民の2世である。

私は、ファティ・アキン監督の存在によって、ドイツには、トルコなどからの移民を長年積極的に受け入れてきた歴史があったのだと言うことを初めて知った。

ドイツの移民政策は、現状では様々な側面で問題となっている部分もあるのだろうが、彼らの存在が第二次世界大戦以降の慢性的な労働力不足を補い、ドイツという国の国力の安定に寄与してきたという事実を無視してしまうのはフェアではないだろう。何しろ、国民の5分の1が移民のバックグラウンドを持っているという驚くような数字もあるから、労働者としても国内消費者としてももはや到底無視できるような存在ではないはずで、彼らを排斥しさえすればすべての問題がたちどころに解決するような単純な話ではないことは明白なのではないかと考える。

また私には、ファティ・アキン監督のような人の存在自体が、移民の2世・3世の人々の一部はこれからのドイツを担う人材に確実に成長しているということを示す証左だと思われてならないのである。

 

ちなみに、ドイツのトルコ系移民を描いた映画には【おじいちゃんの里帰り】(2011年、ドイツ/トルコ)という若手のトルコ系ドイツ人の女性監督による作品もある。

今回いろいろ調べていて、たまたま監督のインタビュー記事を見つけた。

http://www.c-cross.net/articles/movie/yasemin-interview1402.html

移民・難民とひとくくりに語ってしまいがちだが、彼らの一人一人が、私達と同じように、異なる歴史や人格を持つ異なる個人であるということに、常に思いを馳せ続けなければならないだろう。

 

何のために映画を見たいと思うのか、という問いへの答えをここ何年かずっと探していたのだが、一見理解しがたいと思える人々や物事を理解するための想像力を養うため、というのがその理由の一つではなかったかと、最近思うようになってきた。

 

最近見た映画 (2016/07/09版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

葛城事件
理解しがたい頑迷さと虚勢。独りよがりな視野の狭さと自己中心性。私はかつて、こういうおっさんが、世の中のすべての不幸の元凶だと思っていた。赤堀雅秋監督の名を今すぐ日本の現役トップ10監督の1人として記憶すべきだ。

 

日本で一番悪い奴ら
目的と手段を完全に履き違えた昭和の体育会系のおっさんの行動原理を延々見せつけられても、正直、馬鹿なんじゃないの?という感想しか浮かんでこないが、結局組織に利用されただけのこの男の悲哀を、北海道警察の腐敗もろともコメディにしてみせた、白石和彌監督の発想と手腕に脱帽せざるを得ない。

 

シリア・モナムール
崩れ落ち行く世界の中で、映画だけが二人を“人間であること”につなぎ止める。映画としての完成度はともかく、同時代の当事者の撮った映像をこの場で構成して作品として世に問うということの圧倒的な重みを感じた。

 

マネーモンスター
よく分かってないのに株に全財産注ぎ込むなよ~とも言いたくなるが、実際、アメリカではこれに近い人も少なくないのかもしれない。行き過ぎた新自由主義に翻弄される社会の歪みを約100分のリアルタイム・サスペンスに凝縮させてみせた、監督としてのジョディ・フォスターさんの力量を見た。

 

64‐ロクヨン‐
これだけの人数の群像劇をしっかり見せきる瀬々敬久監督はやっぱり凄い。しかし、後から冷静に考えてみるに、佐藤浩市さんの役柄はもっともっともっと泥臭いイメージが湧く人の方が、物語がもっと明確に見えてくるのではあるまいか。

 

シチズンフォー スノーデンの暴露
アメリカ政府が国民を監視してると元CIA職員が曝露したスノーデン事件。これ、事件を後追いで検証しているのではなく、この曝露に協力してくれとスノーデン氏本人から頼まれたドキュメンタリー監督がその過程を記録した映画である。本人達は現在アメリカには戻れない状態だというが、それを覚悟でこんなことをやってしまう人々が現れるところが、アメリカという国の本当の凄さなのではないだろうか。

 

ミスター・ダイナマイト ファンクの帝王ジェームス・ブラウン
ジェームス・ブラウンという人は、パフォーマーとしてのみならず、プロデューサーとしてもビジネスマンとしても天才的な人だったのだということがよく分かった。数々のヒット曲や貴重な演奏シーンも満載なので見ても絶対損しません!

 

TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ
日本の地獄絵って世界的に見てもかなりユニークな文化なのではあるまいか。これを現代版にアレンジしてまるごと再現してみようとか、どうして考えつくんだろ。そして最後はいつもちょっぴり切ないのが、紛う方なきクドカン流。

 

クリーピー 偽りの隣人
どんな話かと思ったら、北九州事件とか尼崎事件とかをモチーフにしてたのね。ストーリー的にはツッコミどころはいろいろあるけれど、これと似たような話が実際に起こったのかと思うと、正に現代のホラーなのかもしれない。

 

鏡は嘘をつかない
東南アジアの漂海民バジャウ族(バジョ族とも)の少女の物語。グローバル化で平坦化する世界の中で、先祖から続いてきた暮らしをこれからも続けると彼女に宣言させるのは、ファンタジーとして麗しくも危うすぎるんじゃないだろうか。

 

裸足の季節
序盤はトルコ版【ヴァージン・スーサイズ】みたいな印象もあったが、末っ娘の行動力に救われた。こんな話が今でもごろごろしてるらしいというのも、でも若い女性監督がそんな現状を作品化してみせたというのも、どちらも今のトルコを表しているのだと思う。

 

団地
団地の小さなコミュニティを舞台に人間の機微を描く話なのかと思いきや、全く理解不能なとんでもない方向へ……う~んアヴァンギャルド(古)。阪本順治監督、攻めすぎだろ。そして私の考える団地ってこういう場所ではないような気がする……。

 

レジェンド 狂気の美学
イギリスでは大変有名らしい60年代の双子のギャングの物語。一人二役だということを完全に忘れてしまうほどのトム・ハーディさんの演技が凄い。音楽の使い方とかがお洒落で、スウィンギング・ロンドンの時代の雰囲気を感じられるのもいい。

 

今回の映画は力作揃いでした!
特に、【シリア・モナムール】や、自分の中で勝手に『昭和のおっさん3部作』と呼んでいる【葛城事件】【日本で一番悪い奴ら】【64‐ロクヨン‐】(【64…】の舞台はほぼ平成ですが、この主人公の精神が昭和に繋ぎ止められているというお話なのではないかと思います)の中の【日本で一番悪い奴ら】なんかは、見ていて芯から疲れてしまって、実際に何日間か立ち直れなくなってしまったくらいです……。

 

 

今回は他にこのような作品もありました。

 

教授のおかしな妄想殺人】はウッディ・アレン監督の新作ですが、殺人をすることで無気力から立ち直る、という狂気じみた設定があまりに淡々と進んでいくのがシュールすぎ、どう反応していいのやらよく分からない状態に陥ってしまったみたいでした。

ふきげんな過去
小泉今日子さんが爆弾魔という設定や小泉さんと二階堂ふみさんの親子関係にあまりケミストリーが感じられず、二階堂さんが他の出演作に較べ今ひとつ魅力的に見えなかったように思えました。

 

 

今週、アッバス・キアロスタミ監督の訃報を聞きました。
1990年代以降、日本でもかなり多くのイラン映画が公開されるようになったのは、キアロスタミ監督の【友だちのうちはどこ?】が一つのきっかけだったように思います。そして、私がイランという国の文化度の高さを知り、イスラム圏の国の人々にも私達と何ら変わらない感情が流れているのだということを実感し始めたのは、多くのイラン映画を見たことがきっかけであったように思います。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

最近見た映画 (2016/06/04版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

ひそひそ星
園子温監督の新境地にして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の遠い遠い親戚?ひそやかに仕事を続けるアンドロイドの目に人類の没落はどう映るのか。人工知能の話題が頻出し始めた今の時代だからこそいろいろ思ってしまう。

 

殿、利息でござる!
ひどい税金に苦しむ宿場町の商人達が、お金を貯めて大名に貸し利息を取ることにした、という江戸時代の実話なんだそう。でもピケティもびっくりの投資の話じゃなく、子孫に何を残せるのか、という切なる思いがテーマなんだよね。

 

海よりもまだ深く
「こんなはずじゃなかった」とか言ってないで現実見ろよ、と言いたくもなるが、いろいろ難しいのもよく分かる。結局、樹木希林さんのようにすべて受け入れて達観して日々を大切に生きましょうという話なんでしょうかしら。

 

カルテル・ランド
麻薬カルテルを相手に立ち上がった自警団、というのも何か胡散臭く、結局何も頼りにならずに混沌状態が続くメキシコ。世界中のこれだけ広い地域で国家なるものが瓦解しつつある今日この頃、そこいらのフィクションはドキュメンタリーに太刀打ちできない。

 

園子温という生きもの
強烈な表現欲求と承認欲求のカタマリだったかつての園子温監督が嫌いだったのは同族嫌悪だったのだろうとよく分かった。いい奥さんと結婚できてよかったね。これからも監督の前に長い道が続いていくことを祈ってます。

 

ヒメアノ〜ル
タイトルは捕食されるトカゲを意味する造語なんだそう。リアルにサイコパスの人がいたらこんな感じなんだろうなぁという森田剛さんが恐ろしすぎながらも、後に残るのはもの哀しい印象。ムロツヨシさんの可笑しさに救われましたわ。

 

ディストラクション・ベイビーズ
ボーン・トゥ・ビー・バイオレントの狂犬に、クズとゲスが感染する。暴力を描きたかったと真利子哲也監督は仰ったが、暴力って何なのかさっぱり分からないこということがよく分かっただけなのかもしれない。

 

或る終焉
最近たまたま終末期ケアの本を読んだので、いろいろ思うところがあったが、若い人にはさっぱり面白くないかもしれないな。そして、人生万事塞翁が馬?こんな静かなティム・ロスさんも素敵ねー。

 

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ
ヨーロッパ各国を巡って見習うべき社会制度を教わるのはいいとして、そこにアメリカの旗を立てて回るというコンセプトがよく分からん。しかし、日本ってアメリカの悪いところばかりをマネしてるんじゃなかろうかとつくづく思った。

 

ヘイル、シーザー!
1950年代のハリウッドは黄金時代にしてスタジオが有効に機能していた最後の時代で、コーエン兄弟はこの時代を舞台にしたコメディを作りたかったのだそうだ。しかし、赤狩りの描き方とかこんなんでいいの?と思っちゃった。

 

あめつちの日々
沖縄・読谷村の北窯に流れるゆったりとした時間。ていうか沖縄産の陶器があるってこと自体を知らなかった。すみません。

 

明日の世界 ドン・ハーツフェルト作品集
シンプルな線書きのキャラクターとは裏腹に、早口の哲学的なナレーションがマシンガンみたいに響き渡るアニメーション。あまりのスピード感にオバサンはちょっと疲れたかな…。

 

 

今回は他に【世界から猫が消えたなら】なども見ましたが、脳腫瘍で死にかけている?主人公の元に悪魔?がやって来て、寿命を1日ずつ延ばすのと引き替えに主人公の大切なものを1つずつ消していく?という設定自体にどうして???という疑問ばかりが山のように湧いてきて、端から全然ついて行けませんでした。そもそも、いきなり脳腫瘍で死ぬとかベタすぎない?とか、悪魔か何か知らないがある特定の個人のところにやってきてその記憶を細かくポチポチいじるほどヒマだなんて物理的にありえなくない?とか、どうせ死にゆく運命なら往生際悪く1日2日寿命を延ばしたってしょうがなくない?とか……。物語の入口からこういう反応だったということは、そもそも自分はこの映画の観客としてふさわしくなかったということなのでしょう。どうもすみませんでした……。

 

最近見た映画 (2016/05/09版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

モヒカン故郷に帰る
訥々とした語り口の中に隣人愛(今回の場合は親子愛)がじんわりと滲み出してくるタッチがいつもながら素敵。今後、日本で山田洋次監督の遺伝子を受け継いでいくのは、もしかして沖田修一監督なのではあるまいか。

 

台湾新電影(ニューシネマ)時代
ホウ・シャオシェン監督とかエドワード・ヤン監督が築き上げた映画史の一時代をほぼ同時代に経験できてラッキーだったなぁ。そして本人の言う通り、ツァイ・ミンリャン監督はこの中ではちょっと異質で浮いてると思う。

 

ルーム
監禁から生還できてよかった、だけで終わるのではなく、簡単にぬぐい去ることなどできる訳がない傷の深さを丁寧に描き出しているのが秀逸。アメリカ映画には珍しい淡々とした語り口だなぁと思ったら、実はカナダ映画だったりして。

 

スポットライト 世紀のスクープ
カトリック教会内での少年少女への性的虐待とその組織的な隠蔽なんて、キリスト教圏では社会の屋台骨を揺るがしかねないとんでもない大事件!様々な圧力や葛藤と戦ってこれをスクープした新聞社の気骨が凄い。

 

追憶の森
若者好きなガス・ヴァン・サント監督には珍しくおじさん2人が主人公。謙さんは現実の人間というより、マシューさんの記憶を昇華に導く樹海の森の精か何かのように見える。このチームでまた何か創ってくれないかな。

 

レヴェナント:蘇えりし者
息子を殺された男が復讐するという、言ってしまえばただそれだけの話を、ディカプリオさんが怒濤の迫力と圧倒的な緊密さで見せきる。その中にネイティブアメリカンに対する蹂躙の歴史が垣間見える。

 

蜜のあわれ
昭和のおっさんの妄想の産物も、二階堂ふみさんが絶妙に演じてるからギリ格調高い文学的ファンタジーで通るかも。赤いひらひらの金魚のイメージがエロティックで美しい。やればできる石井岳龍監督。

 

山河ノスタルジア
経済発展の波に揉まれて内面的に変質していく中国社会を活写し続けてきたジャ・ジャンクー監督。20年近く経って監督の描きたいものがやっと分かってきたような気がする。

 

下衆の愛
やることなすことサイテーでも映画への愛だけは本物であるらしい映画監督を渋川清彦さんが熱演。日本の映画界ってこんなに肉食系の人ばかりじゃないような気もするけれど……。

 

SHARING
3.11の記憶は共有できるのか。鑑賞中は引き込まれて見てたけど、説明しようとするとどうも難しい。主演の女性2人の理知的な美しさが作品に合っていた。

 

アイアムアヒーロー
世界がゾンビだらけになったら真っ先に噛まれて楽になりたいと思うのは自分だけ?アップテンポで見応えあったけど、結局、銃でしか身を守れないという展開に帰結するのは、アメリカで銃持ってる人と同じ理屈なのではあるまいか。

 

オマールの壁
合作映画は見たことあるけど、100%のパレスチナ映画が創られたのは初めてのことらしい。パレスチナ映画が絶望でなく希望を語れるようになるのはいつのことなのだろう。

 

緑はよみがえる
巨匠エルマンノ・オルミ監督のそのまたお父さんが、1世紀くらい前に第一次世界大戦に従軍した時の話。作中では緑はよみがえらない……というか、人類愛で蘇らせなきゃということなのね。

 

孤独のススメ
平凡な独身中年男の日常生活という地味な始まり方から、さる男性との同居という意外な展開に発展する、ちょっと独特なタッチのオランダ映画。ちなみに、孤独は全然ススメてませんけどね。

 

 

【青春100キロ】は、時間が合わなかったり満席だったりで見逃してしまいました。とりあえず、平野勝之監督がお元気そうで何よりです。また機会があったら拝見させて戴きたいと思います。

【64 -ロクヨン-】は後半が公開されてから見に行きます。基本的には2部作ものは見に行かないことにしておりますが(最近公開された某青春かるた映画もそれで断念しました)、何せ瀬々敬久監督の大ファンなので、仕方がないから泣く泣く見に行きます。観客に時間もお金も倍の負担を強いることに何の躊躇も良心の呵責も感じておらず、「同じ製作費で倍稼げる方法見つけたオレら天才~!」くらいにしか考えていない日本映画界は、滅んでも仕方がないのではないかと思います。

 

最近見た映画 (2016/04/08版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

リップヴァンウィンクルの花嫁
かりそめの関係しか存在しないような世界にも真心や真実はちゃんと存在していて、だから人間は生きていける。【リリイ・シュシュのすべて】と本作を撮ったので、岩井俊二監督はもう巨匠ってことでいいと思う。

 

バンクシー・ダズ・ニューヨーク
謎のストリートアーティストにしてアート界のリーサル・ウェポンバンクシーがニューヨークに1ヵ月滞在して作品を発表した時のドキュメンタリー。アートに少しでも興味のある人は、批判するにせよ賛美するにせよ目撃しておかざるを得ないだろう。

 

リリーのすべて
世界で初めて性別適合手術を受けたリリー・エルベの実話の映画化。リリー役のエディ・レッドメインさんも、その妻役のアリシア・ヴィキャンデルさんも上手すぎ!「やっと身も心も女性になれた」と微笑むリリーさんに魂を根こそぎ持って行かれた。

 

母よ、
母親の死を看取る女性映画監督の姿にはナンニ・モレッティ監督自身がある程度投影されているらしい。忙しい日常生活の中にも親の死という問題が避けて通れない皆様にしみじみ見て戴きたい中高年あるある映画。

 

家族はつらいよ
東京家族】と同キャストだけど全く別のお話。ふんぞり返って威張りちらす独りよがりな爺さん(橋爪功さんが上手すぎる)がひたすら鬱陶しいんだけど、この人の未熟さや稚拙さが最後にはほんのり可愛く見えてくるところが山田洋次マジックなんだわね~。

 

無伴奏
学生運動の時代。背伸びして恋愛していた彼女は、この先、この傷を抱えながらも前を向いて生きていくのだろう。成海璃子さん、池松壮亮さん、斎藤工さんの役者としての覚悟も、それを余すところなく掬い取った矢崎仁司監督も素晴らしい。

 

マジカル・ガール
劇中歌はアイドル時代の長山洋子さんのデビュー曲で、エンディングテーマは『黒蜥蜴』。陰鬱さが特徴的なスパニッシュ・サスペンスに、日本文化のエッセンスをマッチさせたカルロス・ベルムト監督のセンスが興味深い。こういうのも一種のグローバル化、なのかな?

 

父を探して
ブラジルの新鋭監督によるアニメーションで、経済発展により激変しつつあるブラジルの現状が男の子の目線で描かれる。色彩感覚が特に素晴らしいんだけど、この終わり方は私にはちょっぴり悲しく感じられた。

 

光りの墓
タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新作。夢とうつつを行ったり来たりするような作風は相変わらずだけど、本作には特に不思議な明るさと力強さがあるような気がする。

 

人魚に会える日。
13歳で撮った初長編【やぎの冒険】が話題になった仲村颯悟監督が5年ぶりに撮った最新作。ストーリー自体には若さゆえの荒さを少し感じるけれど、沖縄の現状への思いは痛いくらいに伝わってきた。

 

 

今回は他に、先年公開されて未見だった以下の映画を見ることができました。

孤高の遠吠】(小林勇貴監督)には富士宮市の本物の不良の皆さんが大挙ご出演なさっているそうで、こんな不良活動を行うエネルギーをもっと有効に使ったらいいのにと思いました(だからこそ映画でも作ってみようと思ったのかな?)が、日本全国のあちこちに転がっているのであろうこんな風景の中に蠢いている皆さんの姿を切り取ってみせているのは凄いと思いました。

Playback】(三宅唱監督)では、村上淳さんや渋川清彦さんや三浦誠己さんに学生服はあまりにも似合わねーと思いましたが、そんなちょっと無理めなストーリーも俳優さんの存在感があまりにも素晴らしいので成立していました。俳優さんの魅力を最大限に引き出す監督さんのこの手腕にはこれからも期待できるかもしれません。

 

 

ところで。行定勲監督の熊本県PR映画【うつくしいひと】が4月12日まで無料で配信されています。
これは行定監督を始めとする熊本ゆかりの人々や、熊本県内の市町村が協力して制作した映画なのだそうで、橋本愛さん、高良健吾さん、石田えりさんなどの出演者もみんな熊本出身の方々なのだそうです。重要な役どころで出演なさっている姜尚中先生(やはり熊本出身なのだそう)の存在感も悪くありません。くまモンも出てます!短編ですが行定監督の上手さが光るしっとりした良作で、一見の価値ありです。

 

(2016/04/18追記)
熊本の地震のニュースを見ていろいろ思うところがありましたが、まず何より、被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、ライフラインと安全な環境の一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

 

最近見た映画 (2016/03/11版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

十字架
いじめ、ダメ。ゼッタイ。は当然ながら、周りの人々が当人の死により負った傷とどのように向き合っていくのか、と部分を丹念に追っているところが素晴らしい。永瀬正敏さんは日本映画界の至宝になりつつあると思う。

 

キャロル
1950年代のアメリカで愛を貫こうとした女性カップルの話。ケイト・ブランシェット様の美しさと優美さが筆舌に尽くしがたい!純真でひたむきな女に見事に化けているルーニー・マーラさんも初めていいなと思った。

 

オデッセイ
独りで置いてけぼりになった火星から帰還を果たそうと頑張るこの話に、この邦題は悪くない。手に汗握り拍手を送りたくなる王道的展開が白けることなく楽しめる、正しいハリウッド映画。

 

牡蠣工場
想田和弘監督作品を初めて見た。地方の肉体労働の現場を映し取ると、外国からの出稼ぎ労働者=グローバル化の話が漏れなく含まれる。おそらくこういうことが日本全国で起きているのだろう。

 

ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年
同じ阪本順治監督の【BOXER JOE】から約20年。ボクシングにはほとんど興味ないけど、「辞める理由が分からない」という辰吉さんにえも言われぬシンパシーを感じてしまう。最近は長く現役を続けるアスリートも増えていることだし、気が済むまでやってみたらいいのでは。自分の人生なんだから。

 

ディーパンの闘い
戦火を逃れるために赤の他人の女性と少女で家族を装ってフランスにやって来た元兵士の“心の戦い”。何故かしら古き良き時代の坂本龍一氏の『フロントライン』が頭の中でリフレインしていた。

 

断食芸人
“長期海外出張中”だった足立正生監督が、現在の日本をポップとかポピュラリティとかポピュリズムという切り口で解釈するとこうなるらしい。独特の表現は買うけれど、不用意に強姦シーンを入れたがるこの時代のおじ様特有のクセだけは直して戴けないものだろうか。

 

火の山のマリア
グアテマラの映画はおそらく本邦初公開。どいつもこいつも、ろくな男が出てきやしねぇ。彼等に運命を左右されてしまうグアテマラ女性の現状は暗い、という批判が込められているらしいのだが。

 

不屈の男 アンブロークン
元オリンピック選手が戦争に行ってどれだけ苦労したか、という話でしかなく、これを反日映画だと言って騒いでる方々の思考回路は理解に苦しむ。【戦メリ】の部分的パクリっつって揶揄するならまだ分かるけど。

 

シェル・コレクター
貝類というのはモチーフとして何だかエロティック。リリー・フランキーさんのよれよれ爺ぃっぷりがいいなぁと感じるのはちょっとマニアック?

 

 

他にはこんな映画なども見ました。

 

スティーブ・ジョブズ
バイオグラフィを懇切丁寧に描いたタイプの映画とは違うので、少なくとも、スティーブ・ウォズニアックジョブズと一緒にアップル社を立ち上げた元盟友で、ジョン・スカリージョブズがアップル社に引き抜いた元ペプシの幹部でジョブズをアップル社から追放した張本人だということくらいは知っていないと、ちんぷんかんぷんなのではなかろうか。

女が眠る時
古めかしいタイトルだなぁと思ったら、内容も古めかしい感じだった。今はもう21世紀で、観客の半分は女なんだから、観念としての女を描こうとすること自体の古くささにそろそろ気づいた方がいいと思うのだが。

ヘイトフル・エイト
レザボア・ドッグス】と似ているという意見を聞くけれど、私は全然違うような気がする。かの映画からは洒落っ気と茶目っ気が失われ、ここにあるのは剥き出しの増悪だけ。ここ何作かのタランティーノ映画に個人的に心が躍らなくなった理由に少し思い当たった気がした。

 

 

かの【マトリックス】の監督のウォシャウスキー兄弟はウォシャウスキー姉弟になりましたが、この度、ウォシャウスキー姉妹になったということです。……詳しいことはよく分かりませんが、心のままに生きるということはいいことなんじゃないかと思います。