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【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】公開記念 私の好きなピアソラ

 

【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】というドキュメンタリー映画が公開になると聞き、古今東西のミュージシャンの中でアストル・ピアソラが一等好きな私は嬉しくて小躍りしてしまいました。実際、映画を観てみましたが、今まで見たことがないようなレア映像の数々があまたの名曲に彩られ、とても見応えのある作品だったと思います。この映画、ピアソラが好きな人にもそうでもない人にも是非見て戴きたいです。

 

ただ、一般的にピアソラというと「リベルタンゴ」ばかりが取り上げられることが多いので、他の曲はよく分からないし興味もそこそこしか持ちようがない、という人も多いのではないでしょうか。これは非常に勿体ない状況です。そこで、自分の好きな曲をいくつか選んでご紹介してみてもいいんじゃないかな、と思い立ちました。

 

趣味的に聞きかじっている程度なので、べらぼうに詳しいコアなファンの方々のコラムなどには及ぶべくもありませんが、いちファンのささやかなお薦めとしてちょっと眺めてみて戴ければ幸いです。

 

 

ところで、今回の【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】ピアソラの息子のダニエル・ピアソラさんの提案により創られたということで、映画の視点も自然ダニエルさん寄りのものになっており、ピアソラのことをあまり知らない人には一見しただけでは分かりにくい部分もあるのではないかという印象を受けました。そこでまず、ピアソラのバイオグラフィを簡単にまとめてみたいと思います。

 

1921(0歳) ※注1) アルゼンチンにイタリア系移民3世として生まれる。
1925(4歳) 一家でニューヨークに移住。8歳頃から父親の勧めでバンドネオンの練習を始める。15歳でアルゼンチンに戻る。
1939(18歳) プロの音楽家として活動開始。
1942(21歳) デデ・ウォルフと結婚。娘と息子の二子を授かる。
1954(33歳) それまでの音楽活動に限界を感じ、フランスのコンセルヴァトワールの作曲科に留学。が、師匠のナディア・ブーランジェにタンゴというルーツを大切にするよう説得される。翌年帰国。
1958(37歳) アルゼンチン帰国後の音楽活動が先鋭的過ぎて理解されず、ニューヨークに移住。翌年、父の訃報を聞き、代表作となる「アディオス・ノニーノ」を作曲。
1960(39歳) アルゼンチンに帰国。その後、代表的な演奏形態となる五重奏団(キンテート)を結成するなど、様々な試行錯誤を重ねる。
1966(45歳) 女性絡みの理由で家族の元を離れる。その後、離婚。
1968(47歳) 舞台「ブエノスアイレスのマリア」を手掛け、主役にアメリータ・バルタールを抜擢。同年アメリータと結婚。※注2)
1973(52歳) 心臓発作で倒れる。同年から翌年頃に離婚。
1974(53歳) イタリアに拠点を移す。その後、ジャズやロック、電子音楽などにアプローチし、息子ダニエルとも音楽活動を行う。
1976(55歳) 最後の妻となるラウラ・エスカラーダと出会い、パリに移住。
1978(57歳) 新たに五重奏団を結成し、アコースティックヘの回帰を表明。このため息子とは疎遠になるも、この後から1980年代にかけて最も充実した音楽活動を行う。
1988(67歳) 最後となる来日公演の後、五重奏団を解散。ラウラと正式に結婚。
1990(69歳) アテネで人前での最後の演奏となるコンサートを録音した翌月、パリの自宅で脳溢血にて倒れる。その後、アルゼンチンに帰国して闘病生活に入る。
1992(71歳) 死去。

※注1)年齢はその年に達する満年齢を記載していますので、出来事が起こった実際の年齢とずれている場合があります。

※注2)今回の映画の公式ホームページでは、ピアソラの結婚は2回となっています。もしかするとアメリータ・バルタールさんとは事実婚で正式に結婚していなかったのかもしれませんが、今まで私が読んできたほとんどの資料ではピアソラの結婚はアメリータさんを含めて3回とされていたため、ここではそのように記載しました。ちなみに、ピアソラが家庭を離れた原因になったのはまた別の女性でしたが、その人とはうまくいかず、ピアソラは相当ダメージを受けたようです。

 

今回の映画の内容とリンクして重要だと思われるのは、1966年に家庭を離れたピアソラが、1974年からイタリアで音楽活動をする際に息子のダニエルさんに協力を求めたことと、結局その路線の活動はピアソラにとって納得できるものにならず、4年後の1978年には終了してしまったということです。ダニエルさんはピアソラのこの原点回帰を手酷い裏切りだと感じたと資料で読んだことがありますが、その後二人がしばらく疎遠になったのは映画にも描かれている通りです。
しかし、ピアソラの音楽活動が一番の充実期を迎えるのはその後の時代で、その意味ではピアソラの判断は正しかった訳で、何というか、天才の息子として生まれてくるというのは色々な意味で大変な宿業なのだなぁと、改めてしみじみと感じてしまいました……。

 

 

それでは、気を取り直して曲をご紹介してみたいと思います。
YouTubeで音源を探してみましたが、埋め込みではなく曲名からのリンクにしてあります。併記しているアルバムの音源ではないものもありますが、どうぞご了承下さい。

 

1.悪魔のタンゴ(Tango del Diablo)悪魔のロマンス(Romance del Diablo)悪魔をやっつけろ(Vayamos al Diablo)
  主な収録アルバム:『ニューヨークのアストル・ピアソラ』(Concierto en el Philarmonic Hall de Nueva York)(1965年)

数あるピアソラのアルバムでも特に傑作と誉れの高い『ニューヨークのアストル・ピアソラ』に収録されている3曲。アルバムの冒頭から「悪魔のタンゴ」の衝撃的なイントロにノックアウトされ、ピアソラがいわゆるタンゴの枠に収まらない唯一無二のミュージシャンであることが強く印象づけられます。そして、度し難いほどロマンティックな「悪魔のロマンス」……私はこの曲を聴いた時、ピアソラはどうしようもないほど恋愛体質の人に違いないと確信しました!更に、軽やかに畳みかける「悪魔をやっつけろ」のスピード感!この3曲を聴くためだけにこのアルバムを入手しても決して損はしないだろうと私は思います。

 

2.天使のミロンガ(Milonga del Ángel)
  主な収録アルバム:『ニューヨークのアストル・ピアソラ』(Concierto en el Philarmonic Hall de Nueva York)(1965年)、『タンゴ・ゼロ・アワー』(Tango: Zero Hour)(1986年)

ピアソラの代表作に数えられる1曲。ゆったりとしたテンポでじっくり聞かせる後期の『タンゴ・ゼロ・アワー』などのバージョンもいいのですが、私はどちらかというとちょっとだけアップテンポな『ニューヨークのアストル・ピアソラ』のバージョンの方が好みです。天使の名を冠した曲には他に「天使の死(Muerte del Ángel)」「天使の復活(Resurrección del Ángel)」などもありますが、この「天使のミロンガ」は殊に美しいと聞くたびにいつも思います。ちなみにミロンガとは、ダンスのための曲の種類の名称だそうです。(タンゴを踊る社交場を指す場合もあるようです。)

 

3.アディオス・ノニーノ(Adiós Nonino)
  主な収録アルバム:『アディオス・ノニーノ』(Adiós Nonino)(1969年)

進むべき方向性を悩んでいた30代のピアソラが父親の訃報を耳にして書き上げたという運命の曲。ピアソラ自身、代表作だと公言しており、何度も録音もされているようですが、同じ名前を冠した1969年のアルバムが傑作と言われており、同曲の他にも素晴らしい曲がたくさん入っているので推奨しておきます。ちなみに、ピアソラが生涯で最後に人前で演奏した曲もこの曲だったそうですが、その時のコンサートの模様が奇跡的に録音されており、『バンドネオン・シンフォニコ~アストル・ピアソラ・ラスト・コンサート(Bandoneón Sinfónico)』(1990年、マノス・ハジダキス指揮アテネ・カラーズ・オーケストラとの共演)というアルバムで聴くことができます。

 

4.アルフレッド・ゴビの肖像(Retrato de Alfredo Gobbi)
  主な収録アルバム:『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ 1970』(En Vivo en el Regina)(1970年)

『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』も傑作として名高いライブ・アルバムです。ブエノスアイレスの四季シリーズ(「ブエノスアイレスの春(Primavera Porteña)・夏(Verano Porteño)・秋(Otoño Porteño)・冬(Invierno Porteño)」)が全曲収められている他、「ブエノスアイレス午前零時(Buenos Aires Hora Cero)」などの有名な曲もあって聴き応えがありますが、中でもこの「アルフレッド・ゴビの肖像」は一聴に価します。バンドネオンによる中盤の静かなソロパートの美しさは筆舌に尽くし難いです。

 

5.AA印の悲しみ (Tristezas de un Doble A)
  主な収録アルバム:『ブエノスアイレス市の現代ポピュラー音楽』(Musica Popular Contemporanea de la Ciudad de Buenos Aires)(1971年)、『AA印の悲しみ』(Tristezas de un Doble A)(1986年)

AA(ドブレ・アー)とはドイツでかつて最高峰のバンドネオンを製造していたアルフレッド・アーノルド社のことで、この曲はそのAAを愛したバンドネオン奏者の先人達に捧げられた曲なのだそうです。バンドネオンの即興演奏が長尺に及ぶのが聞きどころで、これも傑作と名高い1986年の同名のライブ・アルバムに収められたバージョンは何と20分以上もあります!が、毎回それだとちょっと大変なので、私は1971年の『ブエノスアイレス市の現代ポピュラー音楽』(第一集)に収められた7分ちょっとのバージョンの方もよく聞きます。どちらのアルバムも名曲だらけなのでお薦めです。

 

6.エスクアロ(鮫)(Escualo)
  主な収録アルバム:『ビジュージャ』(Biyuya)(1979年)

今回の映画にもある通り、ピアソラは鮫(さめ)釣りが趣味なので、ずばり鮫釣りをテーマにしたこの曲はやっぱり外せないかなと思います(笑)。この曲が収録されている『ビジュージャ』は、1970年代のイタリアでの活動後にアコースティック路線に回帰したピアソラが、五重奏団(バンドネオン、バイオリン、ピアノ、ベース、エレキギター)を結成して初めて録音したアルバムだそうです。この五重奏団は、ピアソラが作ったバンドにしてははかなり活動期間が長かったのですが、スタジオ録音盤は、このアルバムと、後述する『タンゴ・ゼロ・アワー』『ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独』の3枚しかないそうです。『ビジュージャ』は今は入手困難ですが、イタリア期の3枚のアルバムと併せたコンピレーション『ピアソラの挑戦~リベルタンゴの時代』に収録されており、そちらの方なら入手できるかもしれません。

 

7.バンドネオン協奏曲第3楽章(Concierto para Bandoneón/III. Presto)
  主な収録アルバム:『螺鈿協奏曲~コロン劇場1983』(Concierto de Nácar)(1983年)

ピアソラはフランスのコンセルヴァトワールで高名な先生に作曲を学んでいたくらいですから、オーケストラ曲だってお茶の子さいさいな訳です。実際に、このアルバムの表題曲の「螺鈿(らでん)協奏曲」や、映画【12モンキーズ】にモチーフとして使われた「プンタ・デル・エス組曲」など、オーケストラとバンドネオンの協奏曲をいくつか創っていますが(「プンタ・デル・エス組曲」は残念ながらあまり質のいい録音が残っていないそうです)、中でも私はこの「バンドネオン協奏曲」の第3楽章が一番好きです。重厚なストリングスとドラマチックなバンドネオンの旋律の化学反応が素晴らしいと思います。

 

8.カリエンテ(Caliente)デカリシモ(Decarisimo)レビラード(Revirado)
  主な収録アルバム:『ライブ・イン・ウィーン』(Live in Wien)(1983年)

『ライブ・イン・ウィーン』は、1980年代のピアソラの数あるライブ・アルバムの中でも、『セントラル・パーク・コンサート』(The Central Park Concert)や前述の『AA印の悲しみ』と並び称される白眉の1枚で、「ブエノスアイレスの夏」「ブエノスアイレスの冬」や「アディオス・ノニーノ」、そしてピアソラ自身が演奏する「リベルタンゴ」の中でも決定版とも言える名演が聴けるお買い得なアルバムなのではないかと思います。中でも私が特に好きなのはこの「カリエンテ」「デカリシモ」「レビラード」の3曲。いずれも1960年代に作曲された作品のようですが、春の陽だまりを思い起こさせるような明るく爽やかで暖かな旋律には、この時期のピアソラの公私における充実ぶりが滲み出ているように感じられてなりません。

 

9.ミロンガ・ロカ(Milonga Loca)
  主な収録アルバム:『タンゴ・ゼロ・アワー』(Tango: Zero Hour)(1986年)

『タンゴ・ゼロ・アワー』は、ピアソラの自他共に認める最高傑作アルバムとされていますが、中でも私はこの「ミロンガ・ロカ」が一番好きです。というか、ピアソラの数ある楽曲の中で最も好きなのがこの曲です。この曲の疾走感、ソリッドなメロディライン、ドラマ性、哀切感、そして終盤からコーダに至る圧倒的な高揚感……美しすぎて涙が出ます。この曲は、ピアソラが手掛けたいくつかの映画のサウンドトラックの中でも最重要作品とされるフェルナンド・E・ソラナス監督の【タンゴ ガルデルの亡命】(El Exilio de Gardel)に、「タンゲディア2」(Tanguedia 2)という曲名で登場していました。(ちなみに、映画内の「タンゲディア1」「タンゲディア3」は、『タンゴ・ゼロ・アワー』でそれぞれ「タンゲディアIII」「コントラバヒシモ」(Contrabajisimo)という曲名で取り上げられています。)そもそも私が一番最初にピアソラの曲というものを聴いたのはおそらくこの映画だったのですが(その辺は長くなるので割愛します)、映画の中では男女がこの曲で本当にタンゴを踊っており……まぁそれはそれは踊りにくそうでした!ピアソラの曲は大きな括りではタンゴに分類されるのかもしれませんが、やっぱりいわゆるタンゴとは何か違うんだよな……と、ここでも思った次第です。

 

10.ラ・カモーラ I(La Camorra I)
  主な収録アルバム:『ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独』(La Camorra)(1988~89年)

先述の通り、『ラ・カモーラ』はピアソラの後期五重奏団の最後のスタジオ録音作品となり、録音後に五重奏団は解散してしまいます。(アルバムが発売されたのはその翌年です。)このアルバムも『タンゴ・ゼロ・アワー』と共にピアソラの最高傑作と称されています。しかし、一般的に「ラ・カモーラ I」の評価は「II」や「III」に比べていまいち低いんですよね……何でだろう。私は「I」が一番官能的でかっこいいと思うのですが。

 

11.現実との3分間(Tres Minutos con la Realidad)タンゴ・バレエ(Tango Ballet)
  主な収録アルバム:『現実との3分間~クルブ・イタリアーノ1989』(Tres Minutos con la Realidad)(1989年)

五重奏団解散後のピアソラは、試行錯誤を重ねているうちに病に倒れてしまったという感もあります。この『現実との3分間』のアルバムは六重奏団を結成して行ったライブを収録したもので、演奏はやや荒っぽいものの、その迫力は鬼気迫るものがあります。この「現実との3分間」や「タンゴ・バレエ」はいずれも1950年代に作曲された作品のようですが、強烈な切迫感が印象的なこれらの曲のどの辺りにタンゴ成分があるのか、最早さっぱり分かりません(笑)。何度も重複して似たようなことを書いてしまいますが、ピアソラはタンゴのようでタンゴではなく、ピアソラという唯一無二のジャンルでしかないのではないかと思います。

 

12.チェ・タンゴ・チェ(Che Tango Che)
  主な収録アルバム:『エル・タンゴ~ウィズ・ピアソラ』(Live at the Bouffes du Nord)(1984年)

最後にボーカル入りの曲をご紹介します。ピアソラは数々の歌手と組んで多くのボーカル曲を残しており、中でも元夫人のアメリータ・バルタールさんとの共作「ロコへのバラード」(Balada para un Loco)辺りが一番有名ではないかと思われますが、私自身が一番好きなボーカル曲はどれかと聞かれたら迷わずこの「チェ・タンゴ・チェ」を推します。この作品はイタリアのミルヴァさんという女性歌手との共作で、作詞はジャン=クロード・カリエール。脚本家としてルイス・ブニュエル監督の【昼顔】や【ブルジョワジーの秘かな愉しみ】や【欲望のあいまいな対象】、フォルカー・シュレンドルフ監督の【ブリキの太鼓】、フィリップ・カウフマン監督の【存在の耐えられない軽さ】、大島渚監督の【マックス、モン・アムール】など、数々の名作を執筆した方ですね。蓮っ葉な女がタンゴへの愛を歌い上げているような歌詞が、ミルヴァ姐さんの気っ風のいい歌いっぷりにぴったりで、曲のアレンジもドラマチックで遊び心に満ちていて、まるで一幕ものの芝居を見ているかのよう。いつ聴いても最高にシビれます。ミルヴァさんは五重奏団と共に来日公演も行っており、その時の様子は『ライブ・イン・東京1988』というライブ・アルバムに収められていて、そちらの方でもこの曲を聴くことができます。

 

 

ということで、自分なりにいろいろまとめてみるのは楽しかったのですが、最近は特に好きな曲ばかり偏って聴いていたかもしれないなぁ、と少し反省したりなんかもしました。来年は手持ちのピアソラの音源を聴き込む年にしてみようかなぁ、などと思います。

 

 

参考文献:
アストル・ピアソラ 闘うタンゴ」斎藤充正(著)
日本一のピアソラ・マスター、斎藤充正氏による世界一詳しいかもしれないピアソラの評伝。

 

参考URL:
ピアソラの日本盤CD情報
アストルピアソラ バイオグラフィー
ピアソラ作品リスト
アストル・ピアソラ - Wikipedia
【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】公式サイト

 

最近見た映画 (2018/12/03版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

愛と法
大阪を拠点に活動する同性同士の弁護士カップルを描いたドキュメンタリー。日々脅かされつつある日本社会の多様性を法律の面から守るべく奔走する二人の姿に涙が出そうになった。

 

日日是好日(にちにちこれこうじつ)
ある女性の姿を通して茶道の真髄を描くことを試みる大森立嗣監督作。お茶の師匠役は樹木希林さん。こんな心映えの美しい師匠に出会えるかどうかが実は茶道の極意なのではあるまいか。

 

止められるか、俺たちを
若松孝二監督率いる若松プロダクションが最も過激だったであろう1970年前後の姿を、実在した女性助監督を通して描く。実際に若松監督を知る白石和彌監督や井浦新さんが若松プロを描くことに大きな意味があると思う。

 

顔たち、ところどころ
アニエス・ヴァルダ監督が若手アーティストとフランスの村々を巡り地元の人々をモチーフにアート作品を創る様子を描く。年の離れた二人の友情がとても自然で、人々を見つめる視線が愛に満ちているのが素敵だった。

 

若おかみは小学生!
両親を亡くし温泉旅館を営む祖母に引き取られた女の子が奮闘する児童文学を高坂希太郎監督がアニメ化。たくさんのキャラクターやエピソードがストーリーに無理なく溶け込んでいるのが素晴らしい。

 

ガンジスに還る
死期を悟りガンジス川のほとりの街に行きたいと言い出した父親に付き添うことにした息子とその家族を描いた物語。人の生死というテーマもさることながら、現在のインドの中流家庭の暮らしぶりが映し出されているのも興味深い。

 

きらきら眼鏡
傷を抱えた男性が“見たものすべてを輝かせる眼鏡”を持つという女性との出会いにより変わっていく姿を描いた千葉のご当地映画。この女性はかなりの難役で、池脇千鶴さんでなければ成立していなかったのではないだろうか。

 

ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ
民族の坩堝であるニューヨーク市クィーンズ区ジャクソンハイツの姿を多面的に描いたフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー。人々がそれぞれのコミュニティに積極的に関わろうとする姿が印象的。

 

教誨師
死刑囚達に教誨徳育や精神的救済を目的とした面接活動)を行う牧師を描いた大杉漣さんの遺作。派手さはないけれど静かでずっしりと心に迫って来るいかにも漣さんらしい作品だった……。

 

散り椿
藩の不正に対峙する剣士の姿を描いた木村大作監督の時代劇。やはり絵面の方が重視されているのか、整理不足だったり説明不足だったりする箇所が多々あるような。

 

バッド・ジーニアス 危険な天才たち
天才的な頭脳を持ちながら報酬と引き替えに組織的なカンニングに手を貸す女子高生を主人公にしたタイ映画。親の金以外取り柄がないような連中の言いなりになるのが理不尽。それだけの頭脳があれば他のことに使えたのでは……と思うばかり。

 

ゾンからのメッセージ
「ゾン」という不思議な空間に暮らす人々の思いなどを描く鈴木卓爾監督作品。見終わった直後はさほど強い印象ではなかったのに、「ゾン」て一体何だったんだろう……と今でも時折考えている自分がいたりする。

 

華氏119
マイケル・ムーア監督が描くトランプ政権下の中間選挙前のアメリカ。目の前に浮かんだことを脈絡なく書き殴ったという印象。結局、政治を変えたければ選挙に行こうというメッセージだったのかな。

 

旅猫リポート
死期が近い青年が愛猫の引取先を探して友人達を訪ねる旅をする物語。不幸の釣瓶打ちのような設定には少しげんなりしたが、抑制の効いた描き方で救われているような気がする。

 

クレイジー・リッチ!
アジア人キャストだけで大ヒットを叩き出したことが画期的だったというハリウッド映画。「アジアのどこかの国の大金持ち」にはまだ夢があるんでしょうか。シンガポールにも中流家庭はあるはずなんだけど。

 

ここは退屈迎えに来て
ある地方都市に生きる20代の女性達のかつての憧れや現実を描いた廣木隆一監督作品。様々な心の綾が繊細に描かれた良作なのだと思う……地元に対する思いとは大昔に縁を切った自分の心には刺さらなかっただけで。

 

愛しのアイリーン
フィリピンで結婚相手を買ってきた農村の男とその花嫁を主人公にした新井英樹さんの漫画を吉田恵輔監督が映画化。相手に対する思いやりを欠いたエゴの押し付け合いを愛とは呼べない。救いのない結末がしんどかった。

 

 

絶不調で更新がかなり遅れており、かなり古いラインアップになっていて申し訳ありません……。年内にもう1回更新できるといいのですが。

 

最近見た映画 (2018/10/01版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

カメラを止めるな!
ゾンビ映画かと思いきや、あっと驚きの二重構造。仕掛けの面白さもさることながら、映画への愛が溢れ出す語り口が存外胸に迫る。これを意図して創り上げるクレバーさがあるのなら、上田慎一郎監督は、今後フォーマットや予算規模が変わっても充分やっていけることだろう。

 

判決、ふたつの希望
小さな諍いから始まった裁判が、国を巻き込む大論争に発展し、レバノンの現代史を否応なく照射する。本作のジアド・ドゥエイリ監督は、ハリウッドでタランティーノ監督の助手などをした後、母国のレバノンに戻って映画を撮っているのだそう。ハリウッドが世界の映画史に貢献することもたまにはあるんですね。

 

寝ても覚めても
顔がそっくりとかいう設定は安易だと思うが、ずっと燻り続けていた想いのために衝動的に理不尽極まりない選択をしてしまうシーンは圧巻だった。そう言えば同じ濱口竜介監督の【ハッピーアワー】をまだ見ていない。そろそろ観念せねばなるまいか。

 

きみの鳥はうたえる
佐藤泰志さんの原作を【Playback】の三宅唱監督が映画化。まるで不誠実であることが反逆か自己主張でもあるかのようにふてくされている若くて傍若無人で複雑な主人公を演じる柄本佑さんがあまりに上手い。恋人としてこんなウザい男のどこがいいのかさっぱり分かんなかったけど。

 

SUNNY 強い気持ち・強い愛
オリジナルの韓国版で印象的だったボニーMの『SUNNY』すら使っていない潔い換骨奪胎。大根仁監督はやはりこういったアレンジの匙加減が抜群に上手い!オリジナルを見てたから大体のあらすじは分かっていた筈なのに、それでも思わずほろりと来てしまった。

 

泣き虫しょったんの奇跡
プロ棋士になるのに奨励会以外のルートができていたのを知らんかった。そのきっかけを作った棋士の自伝を、自身も奨励会出身の豊田利晃監督が映画化。見た時は地味な印象だったが、後になって、主人公を支える周りの人々の気持ちが次々と思い出されてじわじわ来た。

 

未来のミライ
細田守監督の新作アニメ。一緒に見に行ったうちの母(後期高齢者)がひたすら可愛い可愛いと連発していた。自分の身辺から題材を得る時期もあってもいいんじゃなかろうか。若いアニメファンにどれだけ受け入れられるかは分からんが。

 

【祈り】【希望の樹】【懺悔】
ジョージアグルジア)のテンギズ・アブラゼ監督の三部作を一挙公開。昔のヨーロッパ映画には独特の香気のようなものがあったなぁと遠い目をしてみる。しかし【希望の樹】を1991年の公開時に見ていたことをすっかり忘れていたのには我ながら驚いた。

 

ディヴァイン・ディーバ
ブラジルのレジェンド級の女装家の皆さんがそれぞれの半生を語るドキュメンタリー。女装家と一口に言ってもその経歴も人生観も様々だけど、懸命に生きてきた人たちの言葉には、一つ一つに味わいと重みがあるよなぁ。

 

検察側の罪人
裁判制度の在り方や正義とは何かについて問う原田眞人監督の新作。 何もかもが良く出来ていて傑作になる可能性が大だったのに、ただ1つのどうしても見過ごせない瑕疵がすべてを台無しにしている。別稿。

 

人間機械
インドのファブリック工場の劣悪な環境下でひたすら働かされる人々をひたすら映すドキュメンタリー。インドや中国の華々しい経済的躍進のニュースの影にはこのような人々が少なからず存在しているのでは、と思うと、人類の幸せは遙か遠いのではないかと思わされる。

 

あみこ
自分を特別な存在だと思う自意識は、きっと誰もが通る道。そんな姿を描いてみせた山中瑶子監督自身が当時まだ10代だったということに驚かされ、全く初めて手探りで撮った作品にはとても見えない完成度に打ちのめされた。

 

ペンギン・ハイウェイ
森見登美彦さんの原作によるアニメ。ペンギンとは宇宙のひずみを修正するために生まれ出た何か、ということ?自分は優秀だとか言ってしまう一見小生意気な小学生男子の主人公が、あまりにも一生懸命で、段々可愛く見えてくるところがよかった。

 

詩季織々
中国のアニメ制作会社と新海誠監督作品の制作会社のコラボ作品。リ・ハオリン総監督は、急速な経済発展の中で失われつつある中国の風景をアニメの中に残しておきたかったのだそう。確かに、かつての中国映画で見たことがあるような情景に、妙な懐かしさを覚えた。

 

スティルライフオブメモリーズ
女性の性器をアップで撮影した作品集が有名な写真家アンリ・マッケローニとその愛人の話に着想を得た物語。静物写真をそのまま映画にしたような端正な画面は素敵だったけど、いろいろこじらせている主人公達の気持ちは全然分からなかったよー!

 

ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間
ジブリから独立したスタジオポノックの短編オムニバス。質の高さは予想通りで、とにかく作品を発表し続けることは大切だと思う。本当は高畑勲監督の平家物語の短編が入っていたかもしれないという話を聞いて涙した。

 

インクレディブル・ファミリー
面白くなくはなかったけど、第1作目の完璧さと較べると少しとっちらかっていた印象。2作目を作らんがために無理矢理話をこしらえた感が拭えないかもしれない。

 

 

検察側の罪人】については長くなってしまいましたので別稿にまとめました。この下の記事をご覧下さい。

 

この他に観た映画では次のようなものがありました:フランソワ・オゾン監督の【2重螺旋の恋人】は、デヴィッド・クローネンバーグ監督の【戦慄の絆】に少し似た雰囲気を感じましたが、どなたかが指摘していた通り、ピノコちゃん並みの腫瘍があったとしたら検査に引っ掛からないのは不自然ではないでしょうか。【スターリンの葬送狂騒曲】は、スターリンが死んだ後の権力闘争という題材にあまり興味が持てなかった、というのはこちらの不勉強だと思いますが、“ブラックコメディ”という触れ込みなのに全然笑いどころが分からなくて、心寒くなるばかりなのは辛かったです……。

 

カメラを止めるな!】は全国での拡大公開になってからやっと見ることができ、【判決、ふたつの希望】も危うく見逃すところでした。昔から自分にとって面白そうな映画を嗅ぎ分ける力にはかなり自信があったのに、最近は映画のサーチ力がめっきり落ちているようで、我ながら残念です。

 

いろいろな方々の樹木希林さんへの追悼コメントを聞く度に、樹木さんは、女優として、人間として、本当にたくさんの人に愛されていたのだなぁと感じます。私も樹木さんが本当に逝ってしまったのだと思うと寂しい限りです。長い間お疲れ様でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

最近見た映画 (2018/10/01版):補足

 

上の記事↑に対する補足です。

 

原田眞人監督の新作【検察側の罪人】は、傑作になれる可能性があった映画ではないかと思います。でも、何もかもがよく出来ているこの映画にはただ1つ大きな欠点があり、それが総てを台無しにしていました。それは二宮和也さんの演技力です。

 

正直、木村拓哉さんの演技は予想以上に良かったです。
私はSMAPの一連の騒動ではネット上の噂をかなり真に受けていて、SMAP解散の直接的な原因は木村拓哉さんの判断ミスだったと考えており、自分の中での木村さんに対する評価はダダ下がりでした。が、本作での、苦悩に満ちた中年男性としての演技を認めない訳にはいかない。私はスクリーン上のパフォーマンスさえよければ、その人が他でどんな人であろうとある程度は許容できてしまうという癖がありますので(程度の問題は勿論ありますが)、木村さんが出ているという理由だけで作品を見もせずに拒絶したりすることは今後堅く慎まなければならないと決意しました。

 

これに対して、二宮さんの演技は、のっぺらぼうで、生きた人間の喜びや悲しみや苦悩、人間の存在の厚みや経験の奥行きのようなものを感じられないのです。

 

私は、かつて深夜放送で『Dの嵐!』や『Gの嵐!』などをやっていた頃から嵐が好きで(『Cの嵐!』は企画的にちと辛かった)、二宮さんがクリント・イーストウッド監督の【硫黄島からの手紙】に出演した時は本当に嬉しかったし、当時の二宮さんのナイーブな演技を見て何て才能に溢れた人だろうと心から思ったものでした。
しかしその後、【プラチナデータ】の頃からか、二宮さんの演技に少しずつ違和感を覚えるようになり、最近ついにその違和感が決定的なものになってしまいました。
最近の彼の演技を見ていると、眉根に皺を寄せてさえいればシリアスであり、あとはたまに怒鳴ったりしてメリハリを付けさえすればいいと考えているのではなかろうか、と思うことがあります。
個人的な観測ですが、彼の内面は良くも悪くも少年のままで、それ以降あまり成長していないのではないか、と思ったりします。
そして、彼が【母と暮せば】で日本アカデミー賞の男優賞をもらえたのは、少年に近い年代の役を演じたからではないかと考えます。仮に事務所が強力に後押ししていたのだとしても、箸にも棒にも掛からない演技ではいくら何でも最優秀賞まではもらえないでしょうから、この時の彼の演技にはそれなりの説得力があったのだと思います。が、それは、少年のナイーブさを演じるという彼のかつての得意技が役柄に合っていたからではないでしょうか。これに対し、最近の他の作品では、演技の傾向が、実年齢で求められる役柄とあまり合わなくなってきているのではないかと考えます。

 

ただ、人がどういう演技に感動するかというのは感覚的な問題なので、自分は二宮さんの演技が好きだと言う人がいらっしゃれば、その人の感覚を否定するつもりはありません。そして、これからも二宮さんを起用したい人がいて、二宮さんの演技を求める人達との間で需要と供給の関係が成り立てば、それでいいのだと思います。ただ私個人は今後、二宮さんが出演しているという要素を、作品を見たいと思う動機づけにすることはないだろうと思います。

 

最近見た映画 (2018/08/08版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

万引き家族
最高の演技陣が最高の演出で形にする日本のアナザーサイド。日本映画の最高到達点の一つになって当然。是枝裕和監督がいつか世界最高峰の映画監督の一人に列せられる日が来るなんて、そんなこと昔から分かっていたさぁ!

 

菊とギロチン
瀬々敬久監督の新たな境地。実効性の無い極端な机上の空論ばかりを夢想するアナーキスト達には、周囲の圧力に屈すること無く自由を渇望し自らの力で掴み取ろうと足掻く女力士達が眩しかったのではあるまいか。今も昔も、日本の権力構造がろくなもんじゃないことは変わっちゃいないさ。

 

パンク侍、斬られて候
荒唐無稽な町田康さんの原作をクドカンが独特のリズムで脚本化し、石井岳龍監督が勢いのまま形にする。破茶滅茶な役柄に嬉々として全力で取り組むイカれた名優の皆様が麗しく、その中で座長を張るゴーアヤノが放出するエネルギーが凄まじい。

 

Vision
美しい自然の中に人間の身体性が存在するという現象を空間ごと描出する河瀬直美監督の離れ業。今のこの時代に、いわゆる“コンテンツビジネス”とは全く違うベクトルの映画がまだ存在しうることを証明してみせたなんて驚異的だ。

 

空飛ぶタイヤ
このストーリーをよく2時間にまとめたものだと、林民夫先生の脚本力に感動。豪華なキャスト陣を、登場時間の少ない役にも贅沢に配しているのも効果的。その中心に据えられている長瀬智也さんの存在感は正に画竜点睛。

 

ザ・ビッグハウス
ミシガン大学に一年間客員教授として招かれた想田和弘監督が、同大の先生や学生の皆さんと撮ったアメフトの大学対抗戦の様子。それ自体が巨大な生命体のようなイベントは何もかもが桁違いで、アメリカという国のエネルギーの根源を見せつけられている気がする。

 

北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ
スロベニア実験音楽のバンド、ライバッハの北朝鮮でのコンサート。単なる見学の記録とは一線を画し、彼等との仕事上の折衝のままならなさを活写しているのが新鮮。これまで見た北朝鮮関係のドキュメンタリーでは【金日成のパレード】以来の白眉かも。

 

30年後の同窓会
リチャード・リンクレイター監督の新作。イラク戦争で戦死した息子の遺体を引き取るために旅する元ベトナム帰還兵と、昔の海軍での仲間たちの姿に、アメリカの違った側面が映り込む。“同窓会”なんて生ぬるく間違った邦題のせいでうっかり見逃すところだったじゃないのー !!

 

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
セクスィー部長、とかではなくて性別間の戦いという意味。女は××だから不利益な立場を我慢させられるのは当然、という決めつけによる差別やハラスメントは、昔からあって今もなお存在し続けている。差別など無いという皆さん。私もできればそんなふうに無邪気に生きてみたかった。

 

焼肉ドラゴン
劇作家・舞台演出家の鄭義信さんによる自らの舞台作品の映画化で、日本の高度成長期を生きるある在日コリアン一家を丹念に描写する。一家の父母を演じる韓国人キャストのキム・サンホさんとイ・ジョンウンさんが特に素晴らしい。

 

榎田貿易堂
群馬県渋川市出身の飯塚健監督と渋川清彦さんがタッグを組んだ作品。渋川さん・森岡龍さん・伊藤沙莉さん・滝藤賢一さん・余貴美子さんのアンサンブルキャストが抜群!テレ東の深夜ドラマ枠とかでシリーズ化してくれないかなー。

 

女と男の観覧車
あまりに辛辣で救いが無い話を創る時のウディ・アレン監督って、おそらく私生活があまり上手くいってない……。しかし、自分を特別だと思い込みたいヒロインの醜さの描写が容赦ないのに較べて、その浮気相手の男の頭の軽さには随分寛容なんじゃない?

 

子どもが教えてくれたこと
重篤な病気を抱える子供達を描いたフランスのドキュメンタリー。自分の病気と冷静に向き合いながら今を精一杯生きようとしている子供達の姿はあまりに尊く、監督もかつて病気で子供を亡くされたのだと聞いてあまりに切なかった。

 

ガザの美容室
パレスチナ自治区のガザにある女性達の集う美容室は、苦難ばかりが待っている外の世界からほんの一時だけ逃れることができるアジールパレスチナ系を中心とする女優の皆さん一人一人の力強さが本当に素晴らしい。

 

返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す
沖縄の日本返還時にアメリカとの交渉を担当した外交官が主人公。実話のドラマ化にありがちな冗長さとカタルシスの弱さは否めないけれど、外交には信念に基づく行動がいかに必要かということが丹念に描かれているのに感銘を受けた。

 

 

前回からもの凄く間が開いてしまってすみません……。言い訳をさせてもらうと、7月中に1週間ほどやむにやまれぬリフォーム工事が入り、その準備と対応と後片づけで疲れ果ててしまったのでした……。いや、単にやる気がだだ滑りしているだけですな。まぁそういう時期もあるかなぁ、と自分に甘くて重ね重ねすみません……。

 

今回の上位5作品は、今年の個人的ベスト10に入ってきそうな素晴らしい作品ばかりでした。夏休みに向けて公開された映画は次回に回させてください。東京医科大学は一回潰れてしまえ!まともな点数で入った学生の皆さんには申し訳ないけれど。
それではまたー。

 

 

最近見た映画 (2018/06/11版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

レディ・プレイヤー1
バーチャルリアリティものにオタク文化のエッセンスを真正面からブッ込むという新機軸の離れ業を軽々やってのける映画界のレジェンド、スピルバーグ監督(アラ古希)。監督のネームバリューと資金調達力がなければ決して為し得なかっただろう豪華競演も見逃せない。

 

犬ヶ島
テーマはズバリ「イヌはともだち」。何から何まで素敵なので、円盤が出たら買って1コマ1コマじっくり見返したい。この映画に多大な貢献をしたウェス・アンダーソン監督の友人・野村訓市さんは今後日本映画界の隠れたキーマンになったりしないかな?

 

孤狼の血
孤独な狼の血を継ぐってタイトルなのね!カタギの人を守るためなら違法行為も厭わない行き過ぎた刑事を演じる役所広司さんがどうしてもカッコいい。しかし、続編が決まったと言うけれど、彼なしの続編に果たして意味があるのだろうか……。

 

女は二度決断する
今世界で好きな映画監督を10人挙げろと言われたら、ドイツのファティ・アキン監督を必ず入れる。本作はネオナチのヘイトクライムで夫と子供を失った女性が主人公。トルコ移民二世の監督の様々な思いが込められていると想像する。

 

ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命
ジェイン・ジェイコブズは、ロバート・モーゼスという著名なディベロッパーによるロウアー・マンハッタンを分断する高速道路の建設計画を阻止した人物。ディベロッパーは今も昔も机上の空論に陥りがちで、人間の生理的な感覚を無視しがちという印象がある。

 

ビューティフル・デイ
【タクシー・ドライバー】から更に救いをなくした感じ。だからあの「It's a beautiful day.」と言う科白は“人生は美しい”と言うのと同じくらい重要なのに、単純に“いい天気”だとか訳してたらいかんでしょう。それにしてもホアキン・フェニックス先生ってば、自分の容姿に何か恨みでもあるんだろうか。

 

いぬやしき
日本のCGアクションもここまで来たか。新宿周辺の土地勘がある人は更に楽しめるだろう。高校生とサラリーマンが偶然得たスーパーパワーの使い方で道を分かつという展開もドラマチック。主人公の犬屋敷さんに木梨憲武さんをキャスティングした人は天才じゃなかろうか。

 

モリのいる場所
画家の熊谷守一とその周辺の人々を描いた沖田修一監督作品。昭和の薫りが懐かしい。山崎努樹木希林夫婦の仙人ぶりが、某ジブリ映画を思い出してしまう雑草だらけの庭の佇まいにあまりにマッチする。

 

ファントム・スレッド
天才肌の人にありがちな日常のルーティンへのこだわり。それを放棄してもいいというくらい溺れ込むほどのいい女に見えなかったところがよく分からなかったんだよなー。あと邦題も難あり。でもダニエル・デイ・ルイス様の初老男のエレガントさが筆舌に尽くしがたかったのですべて赦す。

 

のみとり侍
テレビドラマ監督として名を馳せた鶴橋康夫監督、映画ではシリアスより重喜劇的な題材が嵌まるのかも。ストーリーを厳密に追うよりは、理不尽な状況に戸惑う阿部寛さんと恐妻家の伊達男の豊川悦司さんを中心に、雰囲気をふんわり楽しみたい。

 

妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII
今時専業主婦がいるのに旦那が家計を管理するという設定もなんだけど。奥さんが泥棒と鉢合わせたのに無事だったことを喜びもせず文句を言い始めるような旦那とは離婚しろー!奥さんがいなくなったら誰も家事ができないようなバランスの悪い家なんて崩壊しちまえー!と強く思った。

 

心と体と
鹿になって愛し合うという同じ夢を見た男女が現実世界で結ばれるまでを描いた不思議な味わいのハンガリー映画。孤独を抱える心の内をなかなか表に出せない主人公達に親しみを覚える。日本はもっとこういう国と仲良くした方がいいのでは。

 

君の名前で僕を呼んで
美少年と美青年のひと夏の避暑地の恋。ハピエン厨の私はチト辛い。美少年の親が、“失恋は失恋で大事にしような!”的なことを言い、むしろ息子をけしかけかねないくらいの寛容な雰囲気を醸していたのに結構驚いた。

 

海を駆ける
ディーン・フジオカさんの海の精的な役どころはよく分からなかったけど、インドネシアと日本の若い男女4人の交わりを描いた話だと思えば分かりやすいかも。太賀さんと阿部純子さんもいいけれど、インドネシアのお2人も誠実で真面目で素敵だなー。

 

友罪
友人が昔の殺人事件の犯人だったと知った後、自分の昔の“罪”にも向き合うことになる。それぞれの登場人物や1つ1つのエピソードには感情をゆさぶられるけれど、全体として訴えかけてくるものとなると少し弱かったような気がする。

 

シューマンズ バー ブック
伝説のバーテンダー、チャールズ・シューマンが世界中のバーを旅するドキュメンタリー。シェーカーを振るという業だけでカバン1つで世界を飛び回るなんてシビれるな~。日本のシーンも多く、日本がかなりのバー大国だったというのが意外だった。

 

ラッカは静かに虐殺されている
タイトルは、シリアのラッカの壊滅的な状況を映像情報として発信し続ける市民ジャーナリスト集団の名前。ラッカはクルド人勢力により奪還されたが、今度はクルド人とアラブ人の争いが起こっているという。シリアに平和が戻るのはいつの日か。

 

マルクス・エンゲルス
格差が広がり続ける社会にマルクスエンゲルスが再注目を集める今日この頃。ただし本作は、彼等の思想をロジカルに紐解いたりするのではなく、彼等の若かりし頃を物語として描いたもの。当時の時代の雰囲気を知ることができたのはよかった。

 

ザ・スクエア 思いやりの聖域
主人公は現代美術のキュレーター。普通程度にずるかったり疑り深かったりするが、そんなちょっとした人格の欠点のせいで事態が次々に悪化する。そんな意地の悪いプロットが現代の不条理を焙り出しているのはそれなりに面白いけど、これがカンヌのパルム・ドールというのは少し物足りないかも……?

 

サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌
オリンパス事件てこういう話だったのかと、頭の悪い私にもやっと少しだけ分かったような。閉鎖的で護送船団方式の日本の経済界は欧米の人々から見れば気持ち悪いものなのかも。まとめて沈み行く泥船になってしまったら困るのだが、もうとっくにそうなってるのかもしれないなぁ……。

 

サバービコン 仮面を被った街
ジョージ・クルーニー監督は、1950年代に白人コミュニティで起こった黒人排斥事件を描きたかったらしいのだが、そこに何故、昔コーエン兄弟が書いたという全然関係ないスリラーコメディのプロットをくっつけたのか。この奇妙な味はある意味忘れがたいかもしれないが。

 

ラジオ・コバニ
ISに支配されたシリアのクルド人の街コバニに大学生らがラジオ局を立ち上げてから、解放された街に復興の兆しが見え始めるまで。絶望的な状況の中で、お互いの連帯を感じられるよすががあることがどれだけ大切かを感じた。

 

 

渋谷のシネパレスはニュートラルな雰囲気が居心地が良くて好きだった。閉館してしまったのが辛かったんだけど、私は迂闊にも気づいていなかった。シネパレスの所在地と、先立ってPARCOの建て替えのために閉館したシネクイントの復活オープン先が同じビルだということに……!シネパレスはビルの所有者である三葉興業という会社が経営していたそうだけど、映画興行からは撤退して、跡地をPARCOに貸し出すといったところか。今度吉祥寺にできる5スクリーンのミニシアターもアップリンクとPARCOの共同経営らしく、PARCOはまだまだ映画に積極的に携わるつもりがあるらしいと知って胸が熱くなった。

 

 

 

最近見た映画 (2018/04/23版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

ラブレス
ほぼほぼ悲劇にしかならないアンドレイ・ズビャギンツェフ監督作品だが、気がつけば圧倒的に的確な人間描写の大ファンと化していた。本作では離婚寸前の夫婦が自分を押し付け合っているのを聞いてしまった子供が謎の失踪を遂げる。こ……こんなに自分のことしか考えていない人達が幸せになれる訳がないじゃん!

 

ニッポン国VS泉南石綿村
原一男監督が大阪・泉南石綿集団訴訟に密着した8年間の記録。原告団一人一人の人となりが豊かに描き出されるから、被害者(被害者だって国民だよね)に寄り添うことのできない日本の行政や司法の不合理さや非情さが余計に浮かび上がってくる。

 

ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男
チャーチルを主人公にした映画って少ないように思うが、強烈なキャラの割に実態が掴めず、演じるのが難しいのではなかろうか。これに真正面から挑んだゲイリー・オールドマン先生はやはり超名優だと思い知らされ、その役作りに貢献した辻一弘氏を手前勝手ながら誇りに思った。

 

村田朋泰特集 夢の記憶装置
Mr.Childrenの『HERO』のMVなどで知られる人形アニメ作家・村田朋泰監督の作品集。人形アニメって1コマ1コマに愛を込めなければ成立しない気の遠くなりそうな世界。魂を吹き込まれた人形達が雄弁に語り出す異世界に没入するのは何たる贅沢。

 

リメンバー・ミー
これがメキシコとの国境にフェンスを作ると言っていた某政権に対するピクサー社の返答か。メキシコの「死者の日」って日本のお盆を極彩色にしたみたいな感じ?家族の物語という点に抵抗がある人は、大切な人に読み替えてみるのはいかがでしょう。

 

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書
1970年代、ワシントン・ポスト紙が、他紙がスクープしたベトナム戦争についての機密文書を、様々な妨害に遭いながら全文掲載するまでの話。政治の暴走を監視するのがマスコミの役目だと明快に主張する。スピルバーグ監督もアメリカの政治の現状に対して思うところがあるのではないだろうか。

 

クソ野郎と美しき世界
おもちゃ箱みたいで楽しい!三人の個性を際立たせるためにも制作期間短縮のためにもオムニバスにしたのは多分正解。公開時期を短くして固定ファンに円盤を買ってもらおうという戦略もおそらく正しいだろう。飯島三智さんの手腕は本当に天才的なんじゃなかろうか。こんな人材を放逐してしまう会社に未来はあるのか。

 

BPM ビート・パー・ミニット
思えば1990年代初頭は欧米を中心にしたエイズ禍が最も猛威を振るった時代で、同性愛者の病気という誤解や偏見が強かった当時のことがいろいろ思い出された。こうした運動のおかげでHIV感染はある程度コントロール可能になったけど、不治の病であることに変わりはないし、エイズにまで進行した場合の致死率は未だに非常に高い。この病気との闘いはまだ全然終わっていないのだ。

 

ハッピーエンド
心通わぬ一族に連れて来られた少女が、冷え切った世界の底で思わぬソウルメイトと巡り合う物語……に見えた。だから、ミヒャエル・ハネケ監督作の割に絶望感が少ないような感じがしたんだよね。

 

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア
自分の利益になることしか考えないエゴのぶつかり合いの世界に生じた「聖なる鹿」殺し。ギリシア悲劇がモチーフらしいけど、人間ドラマかと思って見ていたら、超常現象的な展開になってびっくりした。

 

ブラックパンサー
アフリカの隠れた超文明国という設定が面白く、オリジナリティ溢れる意匠や男女入り乱れる迫力満点のアクションシーンは問答無用にカッコいい!が、【アベンジャーズ】シリーズの1編という位置づけのせいかストーリーが中途半端だったような気がする。

 

ワンダーストラック
1970年代のアメリカでミネソタからニューヨークに父親を探しに来た男の子の物語。【エデンより彼方に】や【キャロル】など、女性の心情の機微を描くことに長けたトット・ヘインズ監督作としては確かに新機軸に思える。

 

馬を放つ
文字通り厩舎の扉を開け放ち馬を逃がしてしまう男の物語だが、自分の厩舎じゃなかったということが問題になる(そりゃそうだ)。元々騎馬民族だったというキルギスの人々の馬に対する思いが垣間見える一編。

 

港町
岡山県牛窓町での【牡蠣工場】の撮影中にいつの間にか素材が集まっていたという本作。登場する人物は圧倒的にご高齢者が多く、立派に見える街並みも空き家が多いという。黄昏に向かう世界。ソクーロフ監督の映画か何かにこんなのなかったかな。

 

素敵なダイナマイトスキャンダル
かつてはエロ雑誌、その後はパチンコ雑誌で一時代を築いた雑誌編集者の手記が原作。男性から見たらロマンがあるのかもしれないが、妻は愛想を尽かし、愛人は精神が崩壊してしまったのは、女性にとってはろくな男じゃなかったということなのでは……。

 

彼の見つめる先に
目の見えない男の子が、転校生の男の子との初恋を実らせる、可愛い少女マンガみたいなブラジル映画。しかし、主人公の男の子の絶対的理解者だった幼馴染みの女の子がちと可哀想な気がするのだが。

 

ニワトリ★スター
大麻のプッシャーの真似事のようなことをして中途半端に暮らす男性2人の行く末を描く。やりたいことを詰め込み過ぎてとっ散らかってしまった印象があるけれど、この熱量を美しい形になるように刈り込んでしまったら監督の個性が死んでしまうのかもしれない。

 

ダンガル きっと、つよくなる
息子をレスリングの金メダリストにしたかった父親が、息子が産まれなかったため、娘に宗旨替えしたという実話を基にしたインド映画。しかし、伊調選手の問題が表面化した今は、レスリング映画を公開するには最悪のタイミングだったかも……。

 

北の桜守
吉永小百合さんの映画は常に、映画女優吉永小百合をいかに魅力的に見せるかという目的に資するためだけに作られているような気がする。でもそこに一定の需要と供給のサイクルが存在しているのであれば、それはそれでいいのかもしれない。

 

 

高畑勲監督、ミロス・フォアマン監督、タヴィアーニ兄弟の兄のヴィットリオ・タヴィアーニ監督といった巨匠の訃報を立て続けに聞く今日この頃。自分がかつて見知っていた世界は常に変質していくのだと思い知らされます。監督達が遺して下さった美しい映画の数々に感謝を捧げます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。