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「大島渚」はコレを見ろ !!

 

世界中の表現者の中で最も敬愛する存在であった大島渚監督1月15日に亡くなられてしまいました。大島監督の魂が安らかでありますように心からお祈り申し上げたいと思います。

さて、今回大島監督が亡くなられたことで、「大島渚は巨匠だとよく言われているけれどそれは何故?具体的にどんな映画を作った人なのかな?」と改めて疑問に思われた方々もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで、誠に手前勝手ながら、今まで観てきた大島渚監督作品の中でも特に人にオススメしてみたい映画を個人的にセレクトしてご紹介してみたいと思います。


その前に、大島作品を今まであまり見たことがない方へのインストラクションを2つばかり。


1つめは、政治的なアジテーションはとりあえず右から左へ流しときましょう、ということです。大島監督は映画界きっての理論家で、非常に強い政治的な主張もお持ちでしたが、同時代であればともかく、今の時代からこうした主張の数々を振り返っても何のことやらよく分からないということも多々あるかと思います。なので、詳しい話はとりあえず専門家の方々などに任せておいて、まずは、こうしたゴリゴリの政治問答が許容される部分もあった「かの時代」の雰囲気を漠然と味わってみるくらいのつもりで充分なんじゃないかと思います。


2つめは、セックスの描写がかなりあからさまなので気をつけましょう、ということです。何せ大島監督は、性欲というモチーフにも真正面から大真面目に取り組みますので、後期の映画を除く大多数の映画にはそういったシーンがかなり高頻度で登場します。悪いことに、いくつかの古い映画では強姦が「古い価値観の破壊」のメタファーとして描かれていたりもします……。その辺りにはこの世代の男性の認識の限界も感じますが、そこに目くじらを立て過ぎてしまうと、大事なことを見逃してしまいかねません。ただ、一緒に見る相手は選ぶべきかもしれませんし、どうしても駄目だという人は何本かの映画は避けた方が無難かもしれません。


1.戦場のメリークリスマス(1983年)


改めて言うまでもない超有名作ですが、大島監督を語る上でやはり外すことはできないし、他の映画に較べれば分かりやすい要素も多い(?)ので、大島作品を未見の方はやはりまずこれから観てみて下さい。あちこちで紹介されている通り、坂本龍一を世界レベルのミュージシャンに押し上げたのも、北野武を映画の世界にどっぷり引き摺り込んだのもこの映画です。
日本人が第二次世界大戦ものの映画を作ろうとすると未だにナルシズムとヒロイズムと被害者意識から脱することができない傾向があったりしますが、相手方の兵士との邂逅と友愛(一部プラトニックなホモセクシャリズム)を描いた大島監督はひと味違います。終戦時に13歳という多感な時期であった大島監督の作品には、長い間、戦争の傷痕と格闘する日本という国の色濃い影がつきまとっていましたが、監督はこの映画によって、先の戦争に対する自身の思いをすべて清算したのではないかと思われます。
この映画がそこそこ気に入ったら、後期のマックス、モン・アムール【御法度】などをさっくり見ておくといいかもしれません。

2.【少年】(1969年)


親に「当たり屋」をやらされている少年の物語です。「当たり屋」というのは、車に自分からぶつかっていって怪我をしたとか因縁をつけ、お金をむしりとる商売です(当然犯罪です)。少年はそんなことはやりたくないのですが、家族を養うためと親に諭されて「当たり屋」を続けます……。大島作品の中ではおそらく最もストーリーが分かりやすく(?)、最もとっかかりやすいのではないのでしょうか。監督の批評的な厳しい視点が貫かれているので決してセンチメンタルではないのですが、監督の作品の中では随一の不思議な詩情性に溢れています。

3.【新宿泥棒日記】(1969年)


調べてみたら、かの東大安田講堂事件と同年の作品でした(ちなみに上記の【少年】も同年ですね)。本作に関しては、ストーリーがどうこうというより、全共闘運動が最も盛んだった時代の生の新宿の息吹がタイムカプセルのようにパッケージングされているのが最大の見どころだと思います。本作を観た後に、先日亡くなられた若松孝二監督の【実録・連合赤軍 あさま山荘への道程】(安田講堂事件の3年後です)などを観てみると、また違った見方ができるのではないでしょうか。ちなみに主演は画家の横尾忠則さん。演技力が未知数の異業種の人を引っぱってくるのは昔からの常套手段だったんですね。昔の紀伊國屋(本物)や、若かりし頃の唐十郎さんが主催していた伝説の紅テント(本物)なんかが出てくるのも、なんかスゴいです。

4.【白昼の通り魔】(1966年)


60年代中盤くらいまでの大島監督の映画は、政治的主張が強すぎ、観念的すぎて、個人的にはドラマとしての出来はどうなんだろうと感じてしまう作品が多かったのですが、本作には政治的アジテーションとドラマ性との高度な融合を感じました。(といっても、今日びの分かりやすーい“ドラマ”とは較べないで下さいね……。)閉鎖的な農村で生まれ育った娘が、旧態依然とした権力や性的暴力や似非インテリゲンチャーなどの不条理な支配から逃れて生き残ってしまう姿は、何があっても生き残る逞しい民衆そのものの象徴なのだという話を聞きましたが、監督は、様々な不条理に覆い尽くされているように見えた当時の日本が何とか前へ進んでいくための光明のようなものを、彼女に仮託したかったのではないかと思われます。

5.【儀式】(1971年)


今回ご紹介した映画の中では、ある意味最も分かりにくい映画なのではないかと思います。というのは、本作は日本の古い「家父長制」の矛盾を糾弾した映画だと言われているのですが、今の時代、「家父長制」が何のことやらさっぱり分からないという人も多いのではないかと思われるからです。「家父長制」は、男性の家長の権限を絶対とする制度のことで、戦前はこれが天皇制と直結したりしていましたが、戦後の日本でも長い間悪影響を及ぼしたりしていたのです。というか、今も社会のあちこちにその残滓が残っていて、悪さをしているのをちょこちょこ見かけたりもします。なので、分からなければ分からないでいいので、社会見学のつもりで1回この映画を見とくと、いつか何かをふと考えてみたりするきっかけになるかもしれないんじゃないかなぁと思います。ちなみに、私の実家は少し古い家で、私自身が「家父長制」の矛盾を非常に感じながら育ったもので、この映画を最初に見た時には衝撃を受けました。私が大島渚という表現者や映画というメディアに信頼を置くようになったのは、この映画がきっかけでした。

6.愛のコリーダ(1976年)


昭和11年の阿部定事件を描いたハードコアポルノ(=実際にセックスをしているポルノ)で、当時は「猥褻とは何か」ということを巡り大変な裁判沙汰にもなっていました(子供だったのでぼんやりとしか覚えてませんが)。上にも書いた通り、監督は性欲というモチーフにも真面目に取り組み続けた方でしたが、その最たるものがこの映画だったと言って間違いないと思います。人間にとってセックスは欠かすことが出来ない営みの一つですが(でないと人類滅びちゃいますよね)、それを真正面から描くことは人間の本質そのものを真正面から描くことになるのだとこの映画に突き付けられ、目からウロコが10枚くらい落ちました。大島監督の映画として世界的に一番有名なのはおそらくこの作品なのではないかと思われますし、人間の営みのある側面を極限まで描き切った名作として、これからも世界の映画史の中で特異な地位を占め続けるのではないかと思われます。

7.【夏の妹】(1972年)


最後は少し毛色の変わった作品を。本作は、アメリカから日本に返還された直後の沖縄を舞台に、当時人気アイドルだった栗田ひろみさんをヒロインにして創られた映画です。沖縄にいる腹違いのお兄さんかもしれない人に会いに行き淡い恋をする、という筋立てなのですが、まー当然そんなのは表看板の話でして、誰もが大島監督の分身であるかのように沖縄に関するゴリゴリの政治談義を繰り広げる。で、栗田ひろみさんにすらゴリゴリの台詞を言わせたりするのですが、コレが全くそぐわない(笑)。でもって、武満徹さん(言わずとしれた日本現代音楽の巨匠ですね)のやたら爽やかな音楽が浮きまくり。なんちゅーアンバランスさ。でも、この無理矢理にでも青春映画に落とし込もうとしている感じが、何だかクセになっちゃうんですよねー。大島監督のフィルモグラフィの中ではちょっと異質に映る怪作だと私は思います。