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おばさんシネマ

最近見た映画など。

【シリアの花嫁】の思い出

映画よもやま

 

いくら書いてもいっこうにうまく書けませんが、やっぱり書いておこうと思って書きました。ご笑読戴ければ幸いです。

 

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最近、【シリア・モナムール】(2014年、シリア/フランス)というドキュメンタリー映画を見て泣きそうになった。

 

それはおそらく、以前に【シリアの花嫁】(2004年、フランス/ドイツ/イスラエル)という映画を見たことがあるからに違いない。

 

これは厳密にはシリアの話ではなく、かつてシリア領だったイスラエル占領下の国境の村の話だ。花嫁というのは国境を越えたシリア国内の親戚筋に嫁ぐことになっている娘で、一度国境を越えてしまうと、国の制度のために二度と故郷の村には戻れない。そうした状況下で暮らす一家の悲喜こもごもが映画の本筋で、それはそれでいろいろと考えさせられる内容だったけど、それよりもっと私にとって印象的だったのは、この映画の中に映し出されていた、シリア文化圏で暮らすごく普通の庶民の、ごく普通の日常生活だった。

花嫁の夫となる男性はちょっと名の知れたコメディアンで、花嫁らがその男性をテレビで見ているシーンが出てきたりする。花嫁の長兄は弁護士、次兄は外国で商売をしており、弟は大学生。姉も専業主婦をしながら大学で学ぶことを画策している。国情の違いがあるとは言え、若い世代の感覚はすこぶる現代的だし、彼らの生活環境は西洋社会のそれと基本的に大きな違いはないように見える。以前からイラン映画を見ながら何度も思ってきたように、彼らは、私達と地続きの世界に住む、私達と基本的に何も違わない人々なのだ。

 

そんな彼らの街がぼろくずのように破壊されてしまい、瓦礫に埋め尽くされているのを見るのは、胸が潰れる思いがした。

 

勿論、【シリアの花嫁】が架空の物語なのは知っている。けれど、あの物語に描かれていたような心優しい幾多の普通の家族の人々が、今、どこで何を考えながら生きているのか。そもそも無事に生きながらえているのだろうか。とついつい想像してしまう。

 

シリア難民は、シリア内戦が2011年に始まった後、元の環境で暮らせなくなり国内の他の地域や周辺の国々などに避難した人々のことで、2千2百万人の国民のほぼ半数が難民になってしまったのだそうだ。昨年からヨーロッパに流入するシリア難民の数が極端に増えたのは、トルコに逃れていた大量の難民が、トルコの国情の変化によりトルコを退去せざるを得なくなり、元々暮らしていた環境にもとても戻れる状況ではないため、ヨーロッパを目指す人々の数が増えたからだということだ。

 

ヨーロッパ諸国の人々にしてみれば、今までとは桁違いの100万人単位の人々が一挙に押し寄せて来たのでは、物理的にも経済的にも心情的にもとても対応しきれるものではないだろう。ヨーロッパが世論を分断するほどの大混乱に陥ったのは当然のことかもしれない。ただ、世論が真っ二つに“分断”されているということは、難民排斥に賛同する人々がいる一方で、今までヨーロッパが理念として掲げてきた道を堅持し、難民に手を差し伸べて救うべきだと考える人々も、まだかなりの割合で存在するということを示しているのではないかと考える。

 

近代のヨーロッパには多数の難民や移民を受け入れてきた歴史がある。私個人が一番最初にヨーロッパへの移民について知ったのは、【マイ・ビューティフル・ランドレット】(1985年、イギリス)という映画を見た時だったと思う。スティーブン・フリアーズ監督とダニエル・デイ・ルイス出世作で、パキスタン人の移民とプア・ホワイトの青年同士の純愛物語。男女の恋愛に少しばかり懐疑的になっていたその頃の自分には、あまりに眩くて心に沁み入る映画だったが、同時に、インドやパキスタンを植民地にしていたイギリスには、彼の地からの移民が多数存在しているということを初めて知ったのだった。

2000年代に入っても【ベッカムに恋して】(2002年、イギリス)なんて映画があって、こちらはサッカーをやりたいと願うインド系移民の女の子のお話だった。(余談になってしまうが、アメリカに渡ったミーラー・ナーイル監督の【ミシシッピー・マサラ】(1991年、アメリカ)や【その名にちなんで】(2006年、アメリカ/インド)などの映画では、海外のインド系コミュニティの暮らしぶりを覗くことができる。)

フランス映画では、マチュー・カソヴィッツ監督の初期の作品【憎しみ】(1995年、フランス)を見た時に、パリ市内にもフランスの植民地であったアルジェリアなどからの移民のコミュニティがあり、差別や貧困の中で暮らすそうした若者たちの不満がくすぶっていることを知った。

またその頃、フランスなどを舞台にしたいくつかの映画で、天安門事件後の中国からの政治難民の姿を見かけることが何度かあったように思う。

その後、アフリカから地中海を渡ってヨーロッパに渡る難民の存在を知ったのは、【13歳の夏に僕は生まれた】(2005年、イタリア)や【海と大陸】(2011年、イタリア/フランス)などのイタリア映画を見た時だった。どちらの映画も、イタリア人が海で難民船と遭遇するエピソードから始まっていたのだが、そりゃそうか。ヨーロッパから海を渡ればすぐアフリカ大陸なんだもの。アフリカの人々も、本国が戦火で混乱していたり、あまりにも貧しくて食べていけなかったり、などという状況が続いていれば、多少の危険を冒してでも生存可能な環境を求めようとするのは当然のことだ。そしてこの頃から、ヨーロッパのニュースの中にアフリカからの難民船の難破事故の話が散見されることが、少し分かってきた。

他にも、ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド人難民の少年を描いた【君を想って海をゆく】(2009年、フランス)、密航者の少年と初老の男性との交流を描いたアキ・カウリスマキ監督の【ル・アーヴルの靴みがき】(2011年、フィンランド/フランス/ドイツ)、【最強のふたり】の製作チームがパリで長年暮らす不法移民の青年を描いた【サンバ】(2014年、フランス)、難民申請をパスするため家族に偽装したスリランカ難民を描いた【ディーパンの戦い】(2015年、フランス)なんて映画もあった。また、【パリ20区、僕たちのクラス】(2008年、フランス)や【バベルの学校】(2013年、フランス(ドキュメンタリー))などの教育をテーマにしたいくつかの映画には、実に様々なバックグラウンドを持つ子供達が当たり前のように登場していた。他にも、難民や移民が登場するヨーロッパ映画を探っていくと、枚挙にいとまがないかもしれない。

 

こうした難民や移民の話を聞いていると、必ず思い出すのは、ドイツのファティ・アキン監督のことだ。

昨今、日本でのドイツ映画の公開本数が必ずしも多くない中で、カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭のすべてで受賞経験を持つファティ・アキン監督は、【愛より強く】(2004年、ドイツ/トルコ)、【そして、私たちは愛に帰る】(2007年、ドイツ/トルコ/イタリア)、【ソウル・キッチン】(2009年、ドイツ)、【消えた声が、その名を呼ぶ】(2014年、ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/ポーランド/カナダ/トルコ/ヨルダン)など、近作がほぼ全て公開されている数少ないドイツ人監督だ。というか、私はドイツ人の若手の映画監督というと、ほぼファティ・アキン監督しか知らないかもしれない。

このファティ・アキン監督は、ドイツに移住したトルコ系移民の2世である。

私は、ファティ・アキン監督の存在によって、ドイツには、トルコなどからの移民を長年積極的に受け入れてきた歴史があったのだと言うことを初めて知った。

ドイツの移民政策は、現状では様々な側面で問題となっている部分もあるのだろうが、彼らの存在が第二次世界大戦以降の慢性的な労働力不足を補い、ドイツという国の国力の安定に寄与してきたという事実を無視してしまうのはフェアではないだろう。何しろ、国民の5分の1が移民のバックグラウンドを持っているという驚くような数字もあるから、労働者としても国内消費者としてももはや到底無視できるような存在ではないはずで、彼らを排斥しさえすればすべての問題がたちどころに解決するような単純な話ではないことは明白なのではないかと考える。

また私には、ファティ・アキン監督のような人の存在自体が、移民の2世・3世の人々の一部はこれからのドイツを担う人材に確実に成長しているということを示す証左だと思われてならないのである。

 

ちなみに、ドイツのトルコ系移民を描いた映画には【おじいちゃんの里帰り】(2011年、ドイツ/トルコ)という若手のトルコ系ドイツ人の女性監督による作品もある。

今回いろいろ調べていて、たまたま監督のインタビュー記事を見つけた。

http://www.c-cross.net/articles/movie/yasemin-interview1402.html

移民・難民とひとくくりに語ってしまいがちだが、彼らの一人一人が、私達と同じように、異なる歴史や人格を持つ異なる個人であるということに、常に思いを馳せ続けなければならないだろう。

 

何のために映画を見たいと思うのか、という問いへの答えをここ何年かずっと探していたのだが、一見理解しがたいと思える人々や物事を理解するための想像力を養うため、というのがその理由の一つではなかったかと、最近思うようになってきた。