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『ユーリ!!! on ICE』が怒濤のラブ・ストーリーだった話(中編)


本作の原案の久保ミツロウ先生と山本沙代監督は、男子フィギュアスケートの世界をアニメにしたいという動機が根本的にあって、そこから外国人コーチと日本人選手の話を発想していったということです。最初は、本作のもう1人の中心人物であるユーリ・プリセツキーを主人公にする案もあったそうなのですが、哀しい話になりそうだったので断念し、ヴィクトル・ニキフォロフと勝生勇利を中心に据えたところストーリーが動き始めたとのこと。そして、原作者すら予期していなかったほど2人の結びつきが強いものになってしまったのだそうです。

最終話まで見て、翻ってまた最初から見てみると、1話から5話まででじっくり温められた2人の関係が、6話以降、加速度的にどんどんギアが入り、10話で最高潮に達したかと思いきや、11話の終わりで大問題が発生して……というジェットコースター的展開が、最初っからきっちり組み立てられていたのだということがはっきり分かってきました。

本作はスケート・アニメなのか恋愛アニメなのか?という疑問をネットで見掛けることがあったのですが、これは愚問だと思います。なぜなら、両方あてはまるから。彼らの人生の根底にはいつもスケートが存在していて、愛も生活も総てがスケートと共にあり、人生とスケートが分かちがたく結びついているから、どっちというふうに分けて考えることは意味がないと思うのです。そして、そのくらいスケート漬けの人達でなければ、世界でトップクラスの選手になることなんてできないんじゃないかと思います。
でも、スケートがなければ愛せないの?それはちょっとなんだかなー、ということであれば、彼らはスケートを入口にして愛や人生について学んでいるのだ、ということではどうでしょうか。

主人公の勇利は人見知りで自分に殻を作って閉じこもりがちなキャラクターですが、ヴィクトルとの出会いにより、家族や、ミナコ先生や西郡ファミリーなどに代表されるような地元の友人や支援者やファンなどの、周囲の様々な人達に支えられて今までスケートを続けてこられたことを理解するようになります。(主人公が人見知りという設定を利用して、かなり少人数に集約しているけれど、この辺りの人物配置がものすごく上手いと思います。)また、ライバル達も、戦う相手ではあるけれど氷の上で同じ目標を目指す同志でもあることもヴィクトルから教えられます(5話)。「今までずっと一人っきりで戦っていると思っていた。でもヴィクトルが現れてそれは一変した」(4話)と言うように、彼はこれまでも様々な愛に包まれて生きてきたのだということに気づくことができたのですが、その変化の中心にあったのが、幼い頃から崇拝に近い憧憬を抱き続けてきた大切な人、ヴィクトルとの関係でした。
1話の「僕は一人で滑っていく」が、最終話では「一人で抱えるには大きすぎる夢じゃなきゃ辿り着けない場所がある」に変化するのが、ドラマチックじゃなくて何なのでしょう。

一方、ヴィクトルには、「スケートから離れて頭の中に浮かぶのは2つのL、LifeとLoveだ。20年以上俺がほったらかしにしてること」とつぶやくシーンがあります(10話)。ということは、ヴィクトルは5歳前後からスケート一筋の人生だったんですね。
ヴィクトルの話の内容からすると、普通に何人かの人と付き合ったりはしていたみたいですが、2話の始めにコーチのヤコフに軽くキスして「ゴメンね」と言って別れを告げるシーンや、7話で勇利を泣かせた後に「泣かれるのは苦手なんだ。キスでもすればいいのかい?」と言い放つシーンから類推するに、深入りしたりせず、相手の気持ちに寄り添うこともなく、泣かれるとキスして黙らせて、こじれる前に「ゴメンね」と言ってあっさり別れてしまうような浅い付き合いを繰り返してきたのでは……と想像してしまいます。何せ彼にとって一番大切なのはスケートで、他のことはそれほど重要ではなかったのではないでしょうか。
そんな彼は、あまり長く王座に居続けたことで“もうみんな何をやっても新鮮には驚かない”(3話)状態になってしまったことに行き詰まりを感じており、「いつだって新しい気持ちで滑っていればみんな驚いてくれる。自分の首を絞める枷でもあった。新しい強さは自分で創り出すしかない、ずっとそう思ってた」(11話)と独白しています。
そんな彼に、20年以上ほったらかしにしてきたLifeとLoveをもたらしてくれたのが勇利でした。「勇利の持っているLifeとLoveは、俺が今まで触れたことのない新鮮な世界を教えてくれた」(10話)「今は勇利を通して新しい感情が俺の中に流れ込んでくる」(11話)というヴィクトルの独白……私は泣けて仕方ありません。
ヴィクトルは勇利に「勇利は俺にどの立場でいてほしい?父親的な?兄?友達?じゃあ恋人か(……頑張ってみるか)」(4話)と尋ねますが、勇利は「ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい」と答えます。これは非常に重要なセリフかも……と思っていたら、最終話の山場のシーンにも出てきたのでやはり重要なのでしょう。何かの役割を期待するのでなく、あなたがどんな人でも、ただありのままのあなたでいてほしい。ヴィクトルにそう告げた人はもしかしたら今までいなかったのかもしれません。

そんなヴィクトルに愛を捧げるように滑る勇利。その姿をうっとりと眺めるヴィクトルは、まるで恋する乙女みたいです。
スケートを介したヴィクトルと勇利の関係は、単なる恋人とか師弟関係とかを超えた、世界中の他のどんな関係とも似ていない、唯一無二の関係であるように思えます。

そのヴィクトルのセクシャリティを示唆する、気になるエピソードがあります。
2話のヴィクトルは、最初、勇利とミナコ先生の仲を疑っていたみたいで、勇利に「ミナコが好きなのかい?」と尋ね、外出した勇利の行き先が「ミナコさんのとこかアイスキャッスル(スケート場)」と言われて面白くなさそうな顔をします。(この時のヴィクトルの表情がいい!)まぁ、すぐに持ち前の行動力を発揮してミナコ先生の経営するバーに偵察に行き、ミナコ先生はバレエの先生で勇利は熱心な生徒にすぎなかったことが分かるのですが(そしてそのミナコ先生が勇利にフィギュアスケートを勧めたという設定です)、ここで肝心なのは、ミナコ先生は勇利の母親の先輩で、おそらくアラフィフくらいだと思われ、勇利とは文字通り親子ほど歳が離れているということ。でもヴィクトルはそんなことは意に介していないみたいですね。
そもそも最初に勇利に「好きな女の子はいるの?」と尋ねるシーンも、10話を見た後に見るとあれ?と思いました。……もしかしてヴィクトルは、愛の形にこだわらず、どんな愛でも受け入れるタイプの人なんじゃないでしょうか
ヴィクトルは男性しか愛せないタイプには見えないのですが、バイセクシャル両性愛者)というよりは、パンセクシャルとかオムニセクシャルとか呼ばれる全性愛者のような存在であるような気がします。それは、相手の男性らしさや女性らしさに惹かれるのではなく、そもそも性別なんてどうでもよく、その人自身の性格やその人との相性によって恋に落ちるといった性質。そもそもヴィクトルは、世界選手権でもグランプリファイナルでも5連覇を成し遂げているような掛け値なしの天才なので、ちょっと常人と違った性質を持っていても不思議じゃないと思うのです。
ちなみに勇利は、優子ちゃんが初恋の人だったみたいだから(西郡くんと結婚して今や三つ子の母ですが)、普通に女の子を好きになる人だと思われますが、彼にとってのヴィクトルは、小さな頃から優子ちゃんすら凌駕していたほどの特別な存在だったようです。

最初の頃、勇利はヴィクトルのことを「神様がそばにいてくれるようなシュールさ」(4話)なんて表現したりしていますが、この崇拝に近いような感情は最後まで尾を引き、最終話前になって大問題に発展してしまいます。

ということで後編に続きます。