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【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】公開記念 私の好きなピアソラ

 

【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】というドキュメンタリー映画が公開になると聞き、古今東西のミュージシャンの中でアストル・ピアソラが一等好きな私は嬉しくて小躍りしてしまいました。実際、映画を観てみましたが、今まで見たことがないようなレア映像の数々があまたの名曲に彩られ、とても見応えのある作品だったと思います。この映画、ピアソラが好きな人にもそうでもない人にも是非見て戴きたいです。

 

ただ、一般的にピアソラというと「リベルタンゴ」ばかりが取り上げられることが多いので、他の曲はよく分からないし興味もそこそこしか持ちようがない、という人も多いのではないでしょうか。これは非常に勿体ない状況です。そこで、自分の好きな曲をいくつか選んでご紹介してみてもいいんじゃないかな、と思い立ちました。

 

趣味的に聞きかじっている程度なので、べらぼうに詳しいコアなファンの方々のコラムなどには及ぶべくもありませんが、いちファンのささやかなお薦めとしてちょっと眺めてみて戴ければ幸いです。

 

 

ところで、今回の【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】ピアソラの息子のダニエル・ピアソラさんの提案により創られたということで、映画の視点も自然ダニエルさん寄りのものになっており、ピアソラのことをあまり知らない人には一見しただけでは分かりにくい部分もあるのではないかという印象を受けました。そこでまず、ピアソラのバイオグラフィを簡単にまとめてみたいと思います。

 

1921(0歳) ※注1) アルゼンチンにイタリア系移民3世として生まれる。
1925(4歳) 一家でニューヨークに移住。8歳頃から父親の勧めでバンドネオンの練習を始める。15歳でアルゼンチンに戻る。
1939(18歳) プロの音楽家として活動開始。
1942(21歳) デデ・ウォルフと結婚。娘と息子の二子を授かる。
1954(33歳) それまでの音楽活動に限界を感じ、フランスのコンセルヴァトワールの作曲科に留学。が、師匠のナディア・ブーランジェにタンゴというルーツを大切にするよう説得される。翌年帰国。
1958(37歳) アルゼンチン帰国後の音楽活動が先鋭的過ぎて理解されず、ニューヨークに移住。翌年、父の訃報を聞き、代表作となる「アディオス・ノニーノ」を作曲。
1960(39歳) アルゼンチンに帰国。その後、代表的な演奏形態となる五重奏団(キンテート)を結成するなど、様々な試行錯誤を重ねる。
1966(45歳) 女性絡みの理由で家族の元を離れる。その後、離婚。
1968(47歳) 舞台「ブエノスアイレスのマリア」を手掛け、主役にアメリータ・バルタールを抜擢。同年アメリータと結婚。※注2)
1973(52歳) 心臓発作で倒れる。同年から翌年頃に離婚。
1974(53歳) イタリアに拠点を移す。その後、ジャズやロック、電子音楽などにアプローチし、息子ダニエルとも音楽活動を行う。
1976(55歳) 最後の妻となるラウラ・エスカラーダと出会い、パリに移住。
1978(57歳) 新たに五重奏団を結成し、アコースティックヘの回帰を表明。このため息子とは疎遠になるも、この後から1980年代にかけて最も充実した音楽活動を行う。
1988(67歳) 最後となる来日公演の後、五重奏団を解散。ラウラと正式に結婚。
1990(69歳) アテネで人前での最後の演奏となるコンサートを録音した翌月、パリの自宅で脳溢血にて倒れる。その後、アルゼンチンに帰国して闘病生活に入る。
1992(71歳) 死去。

※注1)年齢はその年に達する満年齢を記載していますので、出来事が起こった実際の年齢とずれている場合があります。

※注2)今回の映画の公式ホームページでは、ピアソラの結婚は2回となっています。もしかするとアメリータ・バルタールさんとは事実婚で正式に結婚していなかったのかもしれませんが、今まで私が読んできたほとんどの資料ではピアソラの結婚はアメリータさんを含めて3回とされていたため、ここではそのように記載しました。ちなみに、ピアソラが家庭を離れた原因になったのはまた別の女性でしたが、その人とはうまくいかず、ピアソラは相当ダメージを受けたようです。

 

今回の映画の内容とリンクして重要だと思われるのは、1966年に家庭を離れたピアソラが、1974年からイタリアで音楽活動をする際に息子のダニエルさんに協力を求めたことと、結局その路線の活動はピアソラにとって納得できるものにならず、4年後の1978年には終了してしまったということです。ダニエルさんはピアソラのこの原点回帰を手酷い裏切りだと感じたと資料で読んだことがありますが、その後二人がしばらく疎遠になったのは映画にも描かれている通りです。
しかし、ピアソラの音楽活動が一番の充実期を迎えるのはその後の時代で、その意味ではピアソラの判断は正しかった訳で、何というか、天才の息子として生まれてくるというのは色々な意味で大変な宿業なのだなぁと、改めてしみじみと感じてしまいました……。

 

 

それでは、気を取り直して曲をご紹介してみたいと思います。
YouTubeで音源を探してみましたが、埋め込みではなく曲名からのリンクにしてあります。併記しているアルバムの音源ではないものもありますが、どうぞご了承下さい。

 

1.悪魔のタンゴ(Tango del Diablo)悪魔のロマンス(Romance del Diablo)悪魔をやっつけろ(Vayamos al Diablo)
  主な収録アルバム:『ニューヨークのアストル・ピアソラ』(Concierto en el Philarmonic Hall de Nueva York)(1965年)

数あるピアソラのアルバムでも特に傑作と誉れの高い『ニューヨークのアストル・ピアソラ』に収録されている3曲。アルバムの冒頭から「悪魔のタンゴ」の衝撃的なイントロにノックアウトされ、ピアソラがいわゆるタンゴの枠に収まらない唯一無二のミュージシャンであることが強く印象づけられます。そして、度し難いほどロマンティックな「悪魔のロマンス」……私はこの曲を聴いた時、ピアソラはどうしようもないほど恋愛体質の人に違いないと確信しました!更に、軽やかに畳みかける「悪魔をやっつけろ」のスピード感!この3曲を聴くためだけにこのアルバムを入手しても決して損はしないだろうと私は思います。

 

2.天使のミロンガ(Milonga del Ángel)
  主な収録アルバム:『ニューヨークのアストル・ピアソラ』(Concierto en el Philarmonic Hall de Nueva York)(1965年)、『タンゴ・ゼロ・アワー』(Tango: Zero Hour)(1986年)

ピアソラの代表作に数えられる1曲。ゆったりとしたテンポでじっくり聞かせる後期の『タンゴ・ゼロ・アワー』などのバージョンもいいのですが、私はどちらかというとちょっとだけアップテンポな『ニューヨークのアストル・ピアソラ』のバージョンの方が好みです。天使の名を冠した曲には他に「天使の死(Muerte del Ángel)」「天使の復活(Resurrección del Ángel)」などもありますが、この「天使のミロンガ」は殊に美しいと聞くたびにいつも思います。ちなみにミロンガとは、ダンスのための曲の種類の名称だそうです。(タンゴを踊る社交場を指す場合もあるようです。)

 

3.アディオス・ノニーノ(Adiós Nonino)
  主な収録アルバム:『アディオス・ノニーノ』(Adiós Nonino)(1969年)

進むべき方向性を悩んでいた30代のピアソラが父親の訃報を耳にして書き上げたという運命の曲。ピアソラ自身、代表作だと公言しており、何度も録音もされているようですが、同じ名前を冠した1969年のアルバムが傑作と言われており、同曲の他にも素晴らしい曲がたくさん入っているので推奨しておきます。ちなみに、ピアソラが生涯で最後に人前で演奏した曲もこの曲だったそうですが、その時のコンサートの模様が奇跡的に録音されており、『バンドネオン・シンフォニコ~アストル・ピアソラ・ラスト・コンサート(Bandoneón Sinfónico)』(1990年、マノス・ハジダキス指揮アテネ・カラーズ・オーケストラとの共演)というアルバムで聴くことができます。

 

4.アルフレッド・ゴビの肖像(Retrato de Alfredo Gobbi)
  主な収録アルバム:『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ 1970』(En Vivo en el Regina)(1970年)

『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』も傑作として名高いライブ・アルバムです。ブエノスアイレスの四季シリーズ(「ブエノスアイレスの春(Primavera Porteña)・夏(Verano Porteño)・秋(Otoño Porteño)・冬(Invierno Porteño)」)が全曲収められている他、「ブエノスアイレス午前零時(Buenos Aires Hora Cero)」などの有名な曲もあって聴き応えがありますが、中でもこの「アルフレッド・ゴビの肖像」は一聴に価します。バンドネオンによる中盤の静かなソロパートの美しさは筆舌に尽くし難いです。

 

5.AA印の悲しみ (Tristezas de un Doble A)
  主な収録アルバム:『ブエノスアイレス市の現代ポピュラー音楽』(Musica Popular Contemporanea de la Ciudad de Buenos Aires)(1971年)、『AA印の悲しみ』(Tristezas de un Doble A)(1986年)

AA(ドブレ・アー)とはドイツでかつて最高峰のバンドネオンを製造していたアルフレッド・アーノルド社のことで、この曲はそのAAを愛したバンドネオン奏者の先人達に捧げられた曲なのだそうです。バンドネオンの即興演奏が長尺に及ぶのが聞きどころで、これも傑作と名高い1986年の同名のライブ・アルバムに収められたバージョンは何と20分以上もあります!が、毎回それだとちょっと大変なので、私は1971年の『ブエノスアイレス市の現代ポピュラー音楽』(第一集)に収められた7分ちょっとのバージョンの方もよく聞きます。どちらのアルバムも名曲だらけなのでお薦めです。

 

6.エスクアロ(鮫)(Escualo)
  主な収録アルバム:『ビジュージャ』(Biyuya)(1979年)

今回の映画にもある通り、ピアソラは鮫(さめ)釣りが趣味なので、ずばり鮫釣りをテーマにしたこの曲はやっぱり外せないかなと思います(笑)。この曲が収録されている『ビジュージャ』は、1970年代のイタリアでの活動後にアコースティック路線に回帰したピアソラが、五重奏団(バンドネオン、バイオリン、ピアノ、ベース、エレキギター)を結成して初めて録音したアルバムだそうです。この五重奏団は、ピアソラが作ったバンドにしてははかなり活動期間が長かったのですが、スタジオ録音盤は、このアルバムと、後述する『タンゴ・ゼロ・アワー』『ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独』の3枚しかないそうです。『ビジュージャ』は今は入手困難ですが、イタリア期の3枚のアルバムと併せたコンピレーション『ピアソラの挑戦~リベルタンゴの時代』に収録されており、そちらの方なら入手できるかもしれません。

 

7.バンドネオン協奏曲第3楽章(Concierto para Bandoneón/III. Presto)
  主な収録アルバム:『螺鈿協奏曲~コロン劇場1983』(Concierto de Nácar)(1983年)

ピアソラはフランスのコンセルヴァトワールで高名な先生に作曲を学んでいたくらいですから、オーケストラ曲だってお茶の子さいさいな訳です。実際に、このアルバムの表題曲の「螺鈿(らでん)協奏曲」や、映画【12モンキーズ】にモチーフとして使われた「プンタ・デル・エス組曲」など、オーケストラとバンドネオンの協奏曲をいくつか創っていますが(「プンタ・デル・エス組曲」は残念ながらあまり質のいい録音が残っていないそうです)、中でも私はこの「バンドネオン協奏曲」の第3楽章が一番好きです。重厚なストリングスとドラマチックなバンドネオンの旋律の化学反応が素晴らしいと思います。

 

8.カリエンテ(Caliente)デカリシモ(Decarisimo)レビラード(Revirado)
  主な収録アルバム:『ライブ・イン・ウィーン』(Live in Wien)(1983年)

『ライブ・イン・ウィーン』は、1980年代のピアソラの数あるライブ・アルバムの中でも、『セントラル・パーク・コンサート』(The Central Park Concert)や前述の『AA印の悲しみ』と並び称される白眉の1枚で、「ブエノスアイレスの夏」「ブエノスアイレスの冬」や「アディオス・ノニーノ」、そしてピアソラ自身が演奏する「リベルタンゴ」の中でも決定版とも言える名演が聴けるお買い得なアルバムなのではないかと思います。中でも私が特に好きなのはこの「カリエンテ」「デカリシモ」「レビラード」の3曲。いずれも1960年代に作曲された作品のようですが、春の陽だまりを思い起こさせるような明るく爽やかで暖かな旋律には、この時期のピアソラの公私における充実ぶりが滲み出ているように感じられてなりません。

 

9.ミロンガ・ロカ(Milonga Loca)
  主な収録アルバム:『タンゴ・ゼロ・アワー』(Tango: Zero Hour)(1986年)

『タンゴ・ゼロ・アワー』は、ピアソラの自他共に認める最高傑作アルバムとされていますが、中でも私はこの「ミロンガ・ロカ」が一番好きです。というか、ピアソラの数ある楽曲の中で最も好きなのがこの曲です。この曲の疾走感、ソリッドなメロディライン、ドラマ性、哀切感、そして終盤からコーダに至る圧倒的な高揚感……美しすぎて涙が出ます。この曲は、ピアソラが手掛けたいくつかの映画のサウンドトラックの中でも最重要作品とされるフェルナンド・E・ソラナス監督の【タンゴ ガルデルの亡命】(El Exilio de Gardel)に、「タンゲディア2」(Tanguedia 2)という曲名で登場していました。(ちなみに、映画内の「タンゲディア1」「タンゲディア3」は、『タンゴ・ゼロ・アワー』でそれぞれ「タンゲディアIII」「コントラバヒシモ」(Contrabajisimo)という曲名で取り上げられています。)そもそも私が一番最初にピアソラの曲というものを聴いたのはおそらくこの映画だったのですが(その辺は長くなるので割愛します)、映画の中では男女がこの曲で本当にタンゴを踊っており……まぁそれはそれは踊りにくそうでした!ピアソラの曲は大きな括りではタンゴに分類されるのかもしれませんが、やっぱりいわゆるタンゴとは何か違うんだよな……と、ここでも思った次第です。

 

10.ラ・カモーラ I(La Camorra I)
  主な収録アルバム:『ラ・カモーラ:情熱的挑発の孤独』(La Camorra)(1988~89年)

先述の通り、『ラ・カモーラ』はピアソラの後期五重奏団の最後のスタジオ録音作品となり、録音後に五重奏団は解散してしまいます。(アルバムが発売されたのはその翌年です。)このアルバムも『タンゴ・ゼロ・アワー』と共にピアソラの最高傑作と称されています。しかし、一般的に「ラ・カモーラ I」の評価は「II」や「III」に比べていまいち低いんですよね……何でだろう。私は「I」が一番官能的でかっこいいと思うのですが。

 

11.現実との3分間(Tres Minutos con la Realidad)タンゴ・バレエ(Tango Ballet)
  主な収録アルバム:『現実との3分間~クルブ・イタリアーノ1989』(Tres Minutos con la Realidad)(1989年)

五重奏団解散後のピアソラは、試行錯誤を重ねているうちに病に倒れてしまったという感もあります。この『現実との3分間』のアルバムは六重奏団を結成して行ったライブを収録したもので、演奏はやや荒っぽいものの、その迫力は鬼気迫るものがあります。この「現実との3分間」や「タンゴ・バレエ」はいずれも1950年代に作曲された作品のようですが、強烈な切迫感が印象的なこれらの曲のどの辺りにタンゴ成分があるのか、最早さっぱり分かりません(笑)。何度も重複して似たようなことを書いてしまいますが、ピアソラはタンゴのようでタンゴではなく、ピアソラという唯一無二のジャンルでしかないのではないかと思います。

 

12.チェ・タンゴ・チェ(Che Tango Che)
  主な収録アルバム:『エル・タンゴ~ウィズ・ピアソラ』(Live at the Bouffes du Nord)(1984年)

最後にボーカル入りの曲をご紹介します。ピアソラは数々の歌手と組んで多くのボーカル曲を残しており、中でも元夫人のアメリータ・バルタールさんとの共作「ロコへのバラード」(Balada para un Loco)辺りが一番有名ではないかと思われますが、私自身が一番好きなボーカル曲はどれかと聞かれたら迷わずこの「チェ・タンゴ・チェ」を推します。この作品はイタリアのミルヴァさんという女性歌手との共作で、作詞はジャン=クロード・カリエール。脚本家としてルイス・ブニュエル監督の【昼顔】や【ブルジョワジーの秘かな愉しみ】や【欲望のあいまいな対象】、フォルカー・シュレンドルフ監督の【ブリキの太鼓】、フィリップ・カウフマン監督の【存在の耐えられない軽さ】、大島渚監督の【マックス、モン・アムール】など、数々の名作を執筆した方ですね。蓮っ葉な女がタンゴへの愛を歌い上げているような歌詞が、ミルヴァ姐さんの気っ風のいい歌いっぷりにぴったりで、曲のアレンジもドラマチックで遊び心に満ちていて、まるで一幕ものの芝居を見ているかのよう。いつ聴いても最高にシビれます。ミルヴァさんは五重奏団と共に来日公演も行っており、その時の様子は『ライブ・イン・東京1988』というライブ・アルバムに収められていて、そちらの方でもこの曲を聴くことができます。

 

 

ということで、自分なりにいろいろまとめてみるのは楽しかったのですが、最近は特に好きな曲ばかり偏って聴いていたかもしれないなぁ、と少し反省したりなんかもしました。来年は手持ちのピアソラの音源を聴き込む年にしてみようかなぁ、などと思います。

 

 

参考文献:
アストル・ピアソラ 闘うタンゴ」斎藤充正(著)
日本一のピアソラ・マスター、斎藤充正氏による世界一詳しいかもしれないピアソラの評伝。

 

参考URL:
ピアソラの日本盤CD情報
アストルピアソラ バイオグラフィー
ピアソラ作品リスト
アストル・ピアソラ - Wikipedia
【ピアソラ 永遠のリベルタンゴ】公式サイト