たそがれシネマ

最近見た映画など。

ボウイさんの映画の思い出

 

デヴィッド・ボウイさんが亡くなった。

 

昔、大ファンだった時期があり、バイオグラフィを読み漁り、デビューから当時までのアルバムを全部買い、特に『Aladdin Sane』(1973年)『Diamond Dogs』(1974年)『Station to Station』(1976年)などのアルバムが大好きで聴きまくっていたけれど、影響を受ければ受けるほど、自分はロックのこともアートのことも映画のことも何も知らないという事実に行き当たって愕然とし、いろいろなことを必死になって“勉強”し始めたのも、今や遠い日の思い出だ。

 

ボウイさんの音楽については自分より詳しい人々がいろいろ書かれることだろうと思うから、ここでは映画のサイトらしく、ボウイさんが出演した映画を見た記憶について、個人的な備忘録としてつらつら書いてみようと思う。

 

(注:短編・ドキュメンタリー・テレビシリーズ・声のみの出演作などは除いています。また、楽曲の提供はあまりに多すぎるのでフォローしていません。製作年はIMDbに準拠しており、日本での公開年とは異なっている可能性がありますが、ご了承下さい。)

 

【地球に落ちて来た男】(【The Man Who Fell to Earth】、1976年)

【赤い影】【美しき冒険旅行】などのカルトな作品で著明なイギリスのニコラス・ローグ監督作で、ボウイさんは文字通り地球に落ちて来た宇宙人を演じていた。これ以前にも短編などへの出演があるけれど、ボウイさんの映画デビュー作といえば大体この映画が挙げられるだろう。この世とは異質な存在である宇宙人の寄る辺のない孤独感や虚無感が印象的。既に代表作となっていた『Space Oddity』(1969年)や『Ziggy Stardust (The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars)』(1972年)での宇宙や宇宙人のイメージとリンクすることから、今もってこの映画が俳優としてのボウイさんの代表作だとする人も多いのではないかと思う。

 

【ジャスト・ア・ジゴロ】(【Schöner Gigolo, armer Gigolo】、1978年)

ボウイさんが西ベルリンに住んで『Low』(1977年)『Heroes』(1977年)『Lodger』(1979年)などを作って人生のリハビリをしていた時期(ベルリンの壁の崩壊よりずっと前)に主演したドイツ映画。第1次世界大戦後の疲弊したドイツには退廃的な享楽を求める風潮が蔓延していた時代があったというが(その後ナチスが台頭するのはその反動もあるらしい)、ボウイさんが演じるのはそんな時代に翻弄されたジゴロの役。映画としての出来はあまり芳しい評判を聞いたことがないが、若く美しくデカタンな女殺しという役どころは当時のボウイさんの雰囲気にあまりにもぴったりだったし、かのマレーネ・ディートリッヒの最後の出演作だったりもするので、今見ると一周回っていろいろと見どころが多い映画なのではないだろうか。

 

【クリスチーネ・F】(【Christiane F. - Wir Kinder vom Bahnhof Zoo】、1981年)

麻薬に溺れる西ベルリンのティーンエイジャーの少女を描いたドイツ映画だが、映画そのものよりボウイさんのサントラ作として名を馳せていたように思う。ボウイさんは少女が憧れるロック・スターとして本人役でちょっとだけ登場。私には、かの時代の西ベルリンの独特な空気感を少しだけ感じ取ることができた作品だったような印象が残っている。

 

【ハンガー】(【The Hunger】、1983年)

上記の3作は全部後追いでビデオで見たが、本作は上京して初めて映画館(今は無き新宿の「シネマスクエアとうきゅう」)で見た映画だったように記憶している。今と違って映像がそれほど簡単に手に入る時代ではなく、ましてや田舎者で映画なるものの存在自体の概念をほとんど持っていなかった自分は、あまりにも何もかも知らないことだらけだった。リドリー・スコット監督の弟で【トップガン】などのヒットで知られるトニー・スコット監督の作品で(監督も先年亡くなられてしまいましたね。合掌。)、ボウイさんは現代に生きる吸血鬼という役どころ。本作も映画としての評判はそれなりだったかもしれないが、カトリーヌ・ドヌーヴスーザン・サランドンといった配役は今考えると非常にゴージャスだし、当時はボウイさんの圧倒的な美しさを目の当たりにできただけで充分満足していたような気がする。

 

戦場のメリークリスマス(【Merry Christmas Mr. Lawrence】、1983年)

そして、上京して2番目に見たのが【戦メリ】だった。若い人はよく知らないかもしれないが、ボウイさんの最大のヒット・アルバムである『Let's Dance』(1983年)の時期と前後して、日本で一大ブームを巻き起こした映画だった。しかし、私が上京する頃にはもう封切りの時期は過ぎており、今は無き「テアトル吉祥寺」という2番館(レンタルビデオが普及する前は、封切りからしばらく経った映画を少し安い値段で見られる映画館が多くあった)でやっとこさ見たように記憶している。今の自分は何もかも【戦メリ】から始まっていると言っても過言ではないかもしれないと、今改めて考えてみてやっぱりそう思う。言いたいことがあまりにもありすぎるので割愛するが、世界的ミュージシャンとしての坂本龍一も、映画監督としての北野武も、この映画が無ければ存在していなかったかもしれず、俳優としてのデヴィッド・ボウイの白眉もやっぱりこの映画のジャック・セリアズ少佐だったんじゃないだろうか。

(以前、大島渚監督が亡くなった時に書いた記事の中でも少し書いていますので、よかったら見てみてください。)

 

【チーチ&チョン イエローパイレーツ】(【Yellowbeard】、1983年)

ボウイさんがカメオ出演している劇場未公開作とのことだが、今回調べてみるまで全然知らなかった。チーチ&チョンは当時名を知られていたコメディ・チームだが、本作の実際の主役は元モンティ・パイソングレアム・チャップマン氏だったようである。まぁよくある手口だけど。

 

【眠れぬ夜のために】(【Into the Night】、1985年)

ブルース・ブラザース】【狼男アメリカン】【サボテン・ブラザーズ】(原題は【Three Amigos】で『踊る大捜査線』の3人の上司の元ネタ)などのコメディで有名なジョン・ランディス監督によるロマンティック・サスペンスで、80年代から90年代にかけて数々のヒット作に出演していたジェフ・ゴールドブラムミシェル・ファイファーが主演だった。たくさんの映画監督がカメオ出演している中で、ボウイさんはチョイ役の殺し屋として出演していたように記憶している。これも今は無き「三鷹オスカー」という名画座で3本立てのうちの1本として見たような気がする。

 

【ビギナーズ】(【Absolute Beginners】、1986年)

1950年代後半のロンドンには、ビートルズなどに代表される1960年代のスウィンギング・ロンドンという黄金時代の先駆けとなる若者文化が既に存在していた、というコンセプトで作られたイギリス映画。当時人気のあったエイス・ワンダーのパッツィ・ケンジットがヒロインで、ボウイさんは広告業界の胡散臭い大立者という役どころだったように記憶している。これも映画としての評価はパッとしなかったが、著明なジャズ・ピアニストのギル・エヴァンスが音楽監督をしているサントラには、3曲を提供したボウイさんの他にシャーデースタイル・カウンシルなども参加しており、今聴いても相当カッコいい。

 

【ラビリンス 魔王の迷宮】(【Labyrinth】、1986年)

セサミストリート』のマペットのクリエイターだったジム・ヘンソンが監督した映画。ヒロインのジェニファー・コネリー(後に【ビューティフル・マインド】でアカデミー賞の助演女優賞を受賞)と赤ちゃんと魔王役のボウイさん以外の登場人物はほぼマペットで、当時の映画としての評価はそこそこだったけれど、マペット達の活躍がなかなか楽しい作品だったと思う。私は同じ映画を繰り返して見ることを滅多にしないが、当時最もボウイさん狂いの時期だったので、この映画は個人的に映画館で最も多くの回数を見た映画だったりする(そう言えば当時はまだ居残りで複数回見るとか可能だったなぁ)。ボウイさん自ら5曲を書き下ろしたサントラも当時聴きまくっていたが、テーマ曲の『Underground』には当時流行り始めていたゴスペルが取り入れられており、シングルカットされて割とヒットしていたように思う。

 

【最後の誘惑】(【The Last Temptation of Christ】、1988年)

ウィレム・デフォーがキリストを演じたマーティン・スコセッシ監督作で、その内容が一部のキリスト教徒の不評を買い、本国のアメリカなどでは相当物議を醸していた。ボウイさんはキリストに死刑を言い渡したローマのピラト総督の役で、重要ではあるけれど出番はちょっぴりだった。

 

【ニューヨーク恋泥棒】(【The Linguini Incident】、1991年)

当時アメリカン・コメディの専門館として営業していた今は無き新宿の「シネマミラノ」で見た記憶がある。内容的には特にコメントするところのない映画と言わざるを得ないが、当時人気のあったロザンナ・アークエットや、【愛は静けさの中に】で聾唖者の俳優としては初のアカデミー賞(主演女優賞)を受賞していたマーリー・マトリンが出演していたことが印象に残っている。

 

ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間】(【Twin Peaks: Fire Walk with Me】、1992年)

デヴィッド・リンチ監督が製作総指揮を務め当時一世を風靡した不思議系テレビドラマ・シリーズ『ツイン・ピークス』の劇場版で、ドラマ版の中心的なプロットであったローラ・パーマー殺人事件の謎を追う内容。ボウイさんはカイル・マクラクランの演じた主人公のクーパー捜査官の前任者という役どころだった。ただ、こういった謎が謎を呼ぶタイプのミステリーって、種明かしをしてしまうのが必ずしも面白さに結びつくとは限らないんだよね~。テレビ版の失速もそもそもその辺りが原因だったように記憶しているのだが、また新作を作るとかいう最近のニュースの話、一体どうするつもりなんだろう。

 

【バスキア】(【Basquiat】、1996年)

落書きのような自由な作風でアンディ・ウォーホルに見出され、その後若くして亡くなったジャン=ミシェル・バスキアを描いた映画で、もともと画家であり、その後【夜になるまえに】【潜水服は蝶の夢を見る】なども監督したジュリアン・シュナーベルの初監督作品。バスキアはこの前後にちょっとしたブームになっていたように記憶しているが、最近でもユニクロのTシャツの柄になったりしていたような。ボウイさんは若い頃からアンディ・ウォーホルをリスペクトしていることが知られており、例えば『Heroes』という曲の「We can be Heroes, just for one day」というベルリンの壁を歌った歌詞はウォーホルの「未来には誰だって15分間は有名になれるだろう("In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes.")」という発言にインスパイアされたものらしいが(その後のティン・マシーン時代の『I Can't Read』という曲には「Andy, where's my fifteen minutes?」という反語的な歌詞もあるが)、多分そうしたことを踏まえた上でアンディ・ウォーホルの役をオファーされたことは、ボウイさん本人にもひとしおの感慨があったに違いない。

 

ガンスリンガーの復讐】(【Il mio West】、1998年)

【エヴリバディ・ラブズ・サンシャイン】(【Everybody Loves Sunshine】、1999年)

【天使といた夏】(【Mr. Rice's Secret】、2000年)

【ズーランダー】(【Zoolander】、2001年)

その後はデヴィッド・ボウイさんへの個人的な興味を失ってしまい、熱心に作品を追い掛けることもなくなってしまったため、この時期以降の出演作は未見のものがほとんど。どうもすみません……。ただ、【メリーに首ったけ】【僕たちのアナ・バナナ】【ミート・ザ・ペアレンツ】【ザ・ロイヤル・テネンバウムズ】といった作品で丁度ベン・スティラーが大好きだった頃に(その後【ナイトミュージアム】などで日本でも有名になりましたね)、彼自身の監督作の【ズーランダー】というおバカ映画を笑い転げながら見ていたら、ボウイさんがいきなり本人役(?)で出てきて、その洒落っ気にまた笑い転げてしまったことが懐かしく思い出される。

 

プレステージ(【The Prestige】、2006年)

メメント】【バットマン ビギンズ】【インセプション】【インターステラー】といった数々の名作でもうすっかり巨匠と言っていい域に達しているクリストファー・ノーラン監督の出世作の1つで、ボウイさんは謎の発明家ニコラ・テスラという重要な役どころを演じていた。何故ノーラン監督はボウイさんに出演をオファーしたのか?そりゃぁイギリス出身のノーラン監督自身がボウイさんのファンだったからに違いない、と私は勝手に決めつけている。本作でのかなりフィクションが入った人物像とは違い、実際のニコラ・テスラは科学者として知る人ぞ知る存在であったらしいが(私は本作を見るまで知らなかったのだが)、本作より後になって一般的にも少し名の知れた人物になってきたような気がするのは偶然ではないように思う。本作はノーラン監督の作品の1つとして映画史に名前を残すに違いないと思われるので、後年の俳優としてのボウイさんの姿はこの映画によって覚えておくのがいいのかもしれない。

 

その後も【ライフ・ドア 黄昏のウォール街(【August】、2008年)や【Bandslam】(2009年)という出演作があったようだ。

 

 

こうやって一気に書き上げてみたところで、当たり前のことなのだが、思い出というのは所詮、全部過去の話にすぎないのだ、という事実に改めて思い至った。だから、常に未来を向いて生きていたボウイさんの昔語りをするのは今日で終わりにして、自分もこれからは未来に向いて生きていこうと思った。

ボウイさん、ありがとう。あなたのくれた総てのものに心から感謝します。