たそがれシネマ

最近見た映画など。

最近見た映画 (2016/11/15版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

永い言い訳
自分の傷だけに延々と囚われ続けて、新たな毒を周りに撒き散らし続ける困ったちゃん。わーものすげぇ近親憎悪。人間のこんな部分を欠陥とあげつらわず“人間なんてこんなものっすよ”と描く西川美和監督は、少なくとも私よりは相当寛容な人間だと思う。

 

湯を沸かすほどの熱い愛
チチを撮りに】の中野量太監督の新作。自らを燃やし尽くして残された者に生きる力を託すお母さんの造形が素晴らしい。今のこの時代に、今までにない切り口の家族の物語を創造できる才能を、日本映画界は全力でバックアップすべきだろう。

 

バースデーカード
早くに亡くなった母親が残してくれていた20歳までのバースデーカード。ベタと言えばベタなお話のはずなのに、お涙頂戴にもならず、必要なことはすべて語りつつも饒舌すぎない、過不足のない語り口が心地よい。𠮷田康弘監督、覚えとこ。

 

金メダル男
挫折に挫折を重ねた男が経験を積んでようやく自分の道らしきものを見つける、なんて筋書きのペーソスに溢れたトラジコメディが、若い男の子にウケる訳がない。この映画本来のターゲットであろう中高年層をもっと大事にしたマーケティングが必要だったんじゃないだろうか。

 

何者
就職活動って、企業群が求める画一的な規格に自分を合わせるふりをしなきゃならないところは昔と変わってないけれど、SNSというアルターエゴと付き合わなければいけない分、今の子達の方が大変な部分も多いかもしれないと思った。

 

フランコフォニア ルーヴルの記憶
ルーヴル美術館の所蔵品をナチスから守ったジャック・ジョジャール館長を中心に描いたルーブルの歴史。美術品って民族の魂の記憶装置なのね。ソクーロフ御大と初めて興味のベクトルが合ったみたいで、監督の作品の中では個人的には一番面白かった。

 

ハート・オブ・ドッグ 犬が教えてくれた人生の練習
ドキュメンタリーというよりは、独特の語り口で過去の記憶を辿るシネマエッセイ。ローリー・アンダーソンさんってお名前を久々に聞いたけど、ルー・リードさんと結婚してたって全然知らんかった自分のウラシマぶりに愕然とした。

 

手紙は憶えている
アトム・エゴヤン監督の新作。主人公の認知症のおじいさんが手紙で操られているというのは想像ついたんだけど、後からよくよく考えてみると、この方法には予測できない要素が多過ぎて、あまりにもリスキーなんじゃないだろうか。

 

彷徨える河
コロンビアの俊英シーロ・ゲーラ監督が、実在した白人探検家の手記を元に描いた先住民族の記憶。でも詳しい筋書きとか全然覚えておらず、えずくようにぞわぞわするモノクロの異世界に連れて行かれた印象しか残っていない。

 

 

今回は他に【秋の理由】【あなたを待っています】などの映画も見ました。【ダゲレオタイプの女】は、黒沢清監督が初めてフランスで撮った映画ということでちょっと期待していたのですが、今一つピンと来なかったかな。思うに、日本人である黒沢監督にはフランスの幽霊は描けないし、本来その必要もないんじゃないでしょうかね……。

 

最近見た映画 (2016/10/18版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

怒り
“怒り”とは人を信じ切れなかったことへの慟哭であるように思えた。日本映画界の最良の部分を結集して創られた紛れもない傑作でしょう。

 

オーバー・フェンス
海炭市叙景】【そこのみにて光輝く】に続く佐藤泰志原作“函館3部作”の最終章。オダギリジョーさんと蒼井優さんががっつりラブ・ストーリーを演じれば、そりゃ名作になるだろう。脇を固める俳優陣の素晴らしさも特筆すべき。

 

ザ・ビートルズ Eight Days A Week The Touring Years
ツアーバンドとしてのビートルズに焦点を当て、デビュー前後から『サージェント・ペパーズ…』辺りまでの活動を紐解く。ビートルズというバンドの天才ぶりを改めて見せつけられて改めて驚愕したが、膨大すぎる資料映像からこの1本を削り出したロン・ハワード監督のオタクぶりも凄いと思った。

 

ある戦争
アフガニスタン多国籍軍に参加し、部下を守ろうとした行為で罪に問われた軍人の苦悩を描く。実際の戦場での戦い、何のために戦っているのか、自分は正しかったのかというという心の戦い、裁判での戦い。デンマーク映画のポテンシャルはやっぱり半端ない。

 

SCOOP!
芸能マスコミが社会に必要な職業かどうかは常々疑問に思うけど、彼ら自身の生態の方がよほど興味深いかもしれない。メリハリのある展開はさすがに大根仁監督印の面白さ。新たな役柄に挑戦し続ける福山雅治さんもエラいと思う。

 

お父さんと伊藤さん
初老で経歴不詳のアルバイターの彼氏・伊藤さんと暮らす中年手前の女性の元に、居場所がなくなったお父さんがやって来た。一家に一人伊藤さんが欲しい~。タナダユキ監督、ほんとの男らしさって何なのかよく分かってらっしゃる。

 

淵に立つ
人間、過ちを犯すのは仕方ないけれど、その過ちに向き合えず不誠実なのが気持ち悪く、その気持ち悪さの描写が容赦なかった。しかし、親の因果を子に報いさせてんじゃねーよ、子供の人生は子供のものだよバーカバーカ。

 

映画 聲の形
原作未見で申し訳ないが、いじめる側・いじめられる側のメンタリティをここまで繊細に描いた作品はかつて見たことがなかったかもしれない。日本のアニメ界、ジブリがなくても大丈夫そうな気がしてきた。女性のアニメ監督が出てきたのも嬉しい。

 

人間の値打ち
ある轢き逃げ事件を巡っていろいろな人々の思惑と本性が交錯する。イタリア映画ってこんなふうに人間の裏側をシビアにえぐり取るのが本当に得意だ。ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ様を久々に拝見できたのも嬉しかった。

 

レッドタートル ある島の物語
名作【岸辺のふたり】のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督の長編デビュー作にジブリが助太刀。無人島に流れ着いた青年とウミガメとの不思議な異類婚姻譚。クラシックなお伽噺みたいな端正な美しさがあって嫌いじゃない。

 

とうもろこしの島】【みかんの丘
ジョージア(グルジア)からの独立を主張するアブハジア自治共和国が舞台の2本を、岩波ホールで併映中。テーマは戦争の中での人間性。世界が平和にも安定にもほど遠くても、私達は日々を粛々と生きるしかないのかもしれない。

 

ジャニス リトル・ガール・ブルー
ジャニス・ジョプリンの切迫感や孤独感は1974年作の【JANIS】の方が際立っていたような気がするが、彼女自身の肉声や手紙の文面などを使ってトレースされた彼女の人生はやはり瞠目に値する。若い人にこそ彼女のことを知って欲しいと思う。

 

過激派オペラ
毛皮族」主宰の江本純子監督が描く、とある劇団の勃興と衰退。女性だけの世界の特異なエネルギッシュさも見どころだけど、痴情のもつれから人間関係が崩壊し劇団が瓦解するっていうのは、よくある劇団あるあるなんじゃないのかな。

 

将軍様、あなたのために映画を撮ります
映画好きの金正日の命令で、韓国の申相玉監督とその元妻で女優の崔銀姫さんが1978年から8年間北朝鮮に拉致されていた、というのは有名な実話。北朝鮮がどういう国かということを、欧米の人々などに対してもっと喧伝すべきだ。

 

ハドソン川の奇跡
飛行機を墜落から救っておきながら事故調で判断ミスを追求された機長たちの実話、だけど、お前らコンピュータ信じすぎじゃね?と思ってたら何のひねりもないその通りのオチだったので、いろんな意味でがっくり来た。

 

グッドモーニングショー
さすが長年テレビ畑を歩いてきた君塚良一監督作だけあって、朝の情報バラエティの裏側が覗けたのは面白かった、けど、主人公の性格も言動も、犯人の動機も、ストーリーの展開も、どれもが何だか煮え切らなかったかも。

 

神聖なる一族 24人の娘たち
ロシア西部にあるというマリ・エル共和国の24人の女性が繰り広げる牧歌的な物語。二昔くらい前まではこういうローカルなテイストのヨーロッパ映画がもっとたくさんあったような気がして、なんか懐かしい気持ちになった。

 

歌声にのった少年
アラブ版の『アメリカン・アイドル』みたいな番組に出て大スターになったパレスチナの青年の実話に基づく話。パレスチナの人々も未来に希望を持ちたいと願っている。現地でスカウトしたという子供たちのキャストが秀逸。

 

 

ポーランドの名匠アンジェイ・ワイダ監督がお亡くなりになりました。
私が監督の【大理石の男】という作品を最初に見たのは、まだベルリンの壁の崩壊前で、ポーランドを始めとする東欧諸国が社会主義体制の矛盾の中で苦しんでいる時代でした。その後、監督が映画を通じて訴えかけていた自由な政治体制が実現されましたが、その過程を目の当たりにして、映画にはもしかして社会を変革する助けになる力があるのかもしれないと感じたことが、私の人生の中で最も鮮烈な映画体験の1つだったかもしれません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

最近見た映画 (2016/09/16版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

後妻業の女
果てしなく暴走する大人の欲望は、ギラギラしててあまりにもグロテスクで、もはや笑うことしかできない。若い人こそこれを見て、トラウマを思い切り植え付けられて、大人のガサガサした世界への免疫でも作っとけばいいんじゃないかと思う。

 

グッバイ、サマー
ミシェル・ゴンドリー監督の体験に基づいた作品で、2人の少年のヘンテコだけど純粋なひと夏の友情を描く。この2人のナイーブさが素晴らしすぎ。大定番【スタンド・バイ・ミー】に迫る勢いで、名作の域に入ってしまうかも。

 

君の名は。
男女の入れ替わりなんて使い尽くされたテーマだと思っていたけど、そこから更に2ひねりくらいアイディアが練られていて唸った。ただ、“事件”が解決した後の展開は少し冗長では?2人が互いの名前を忘れてしまう仕組みがおばさんにはよく分からす、このタイトルを付けたいがためだけの無理な展開だと感じられたのだが。

 

チリの闘い
1973年の軍事クーデターの直後に完成したドキュメンタリー。ピノチェトの独裁も四半世紀以上前のことだから、本作にもさすがに同時代的な興奮はないけれど、本作が世界の政治史を語る上での貴重な証言であり続けることも、かの時代が今後も検証され続けなければならないことも変わらないだろう。

 

ソング・オブ・ザ・シー 海のうた
意匠だけを見てると、ポニョ+ネコバス+湯婆婆感があまりにもぬぐい去れない。でも中身は純然たるケルト神話の石と妖精の世界。アイルランドに行きたくなったよーーー!

 

イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優
イングリッド・バーグマンってスウェーデン出身だっけ。この時代のハリウッド映画とか全然詳しくなくて、記憶も知識もいろいろあやふやなので、勉強になってよかった。

 

ティエリー・トグルドーの憂鬱
世の中が全員株屋や資本家ばかりになったら成立しないはずなのに、こつこつと地道に実業に携わる人間が報われず、あまつさえ馬鹿にされる世界なんて、やっぱりなんか間違ってると思う。

 

火 Hee
初老の娼婦(おそらく放火魔)の一人語り。これを小説から映像表現に起こすのは凄く難しかったのでは。桃井かおりさんの監督としての非凡な感性を感じたと共に、彼女の演技を久々にがっつり堪能できて嬉しかった。

 

チリの軍事独裁政権にまつわる映画に関しては、以前に【No】という映画をご紹介した時にちょっと書いたものがあるので、よろしければご覧になってみて下さい。なお、昨年には、【チリの闘い】と同じパトリシオ・グスマン監督の【光のノスタルジア】や【真珠のボタン】なども公開されていますので、興味のある方は併せてどうぞ。

 

 

今回は他にこのような作品もありました。

 

ディアスポリス DIRTY YELLOW BOYS】は先行するテレビドラマ版があったんですね!そっちを見ていないと、いきなり本作の設定に入るのは難しいかも。ただ、不法入国者の犯人2人の無軌道な青春ものと思って見たら切ない部分もあって、須賀健太くん大きくなったねーとしみじみしてしまいました。

エミアビのはじまりとはじまり】は、ストーリーは嫌いじゃなかった。けれど、既に【漫才ギャング】という作品がこの世に出ている以上、人気芸人のお笑いのシーンがこのレベルというのは厳しいでしょう。結構好きな俳優さん達が多く出演していたので、ちょっと残念です。

超高速!参勤交代 リターンズ】は、“続編に名作なし”を証明する出来になってしまいましたね。前作とは違う切り口で、というオーダーがあったのでしょうが、時代考証の無視が甚だしすぎてあまり楽しめません。時代劇的感性として、せめて「忠臣蔵」と矛盾しない程度のレベルは確保すべきなんじゃないでしょうか。

 

イギリスを見習いたい。

 

リオ五輪ロスに陥っている皆様、こんにちは。

 

映画に関係のない話題でごめんなさい。だけど、今回のリオ五輪の開会式の演出は【シティ・オブ・ゴッド】【ブラインドネス】のフェルナンド・メイレレス監督だったので、全くの無関係でもないのでは(こじつけ)。環境保護が重要なテーマの1つだったということですが、緑や植物を多用した美しい開会式を見ていると、そういえば、故郷に戻って熱帯雨林の復活プロジェクトに従事した写真家のセバスチャン・サルガドはブラジル人だったなぁと思い出したりしました。(詳しくは【セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター】をどうぞ!おぉやった!少しは映画に繋がったぞ!)

 

スポーツは全くやりませんが、見るのは嫌いではありません。私は自宅で仕事をしているので、期間中はほぼオリンピック番組をつけっぱなしにしていました。時には、テレビの横にiPadを並べ、テレビ番組とアプリでの配信画像を同時に眺めるなんてことも……。今回のオリンピックは日本人選手が活躍する場面が多く見られ、日本人にとっては特に見どころが多かったのではないでしょうか。でも、メジャーな競技もいいですが、馬術とかシンクロ飛び込みとかボートとか、テレビではあまり放送されない競技をネット配信で見たりするのも面白いですよね。私は、マツコさんの番組で紹介されていたカヌーの羽根田選手の決勝を、真夜中にライブ配信で見たのを周りにちょっと自慢しています。ホスト局が制作したという大会ハイライト画像(日本以外の選手の活躍もよく分かる)なんかも面白かったです。

 

リオ五輪が終わって思ったことは東京五輪のことです。好むと好まざるとに関わらず、やると決まったからには、多額の血税を投入し、多額の借金をこしらえてでも全力で実行されることでしょう。そこで差し当たり心配なことが2つ。

1つは開会式のことです。リオ五輪閉会式での東京五輪のティーザーを見て、ちょっとは期待が持てそうかも?と思いましたが、聞けば、閉会式での演出担当者がそのまま開会式を担当することはまずないという話で残念。それどころか、某ご高齢の演出家に依頼するとか、広告代理店主導でほぼ日本(最大限でもアジア)でしか人気がないようなアイドルや歌手などを投入するなんて恐ろしい話も出ているとかいないとか……。やるからには日本の末代までの恥さらしになるようなものだけにはしないで欲しいと、心から願うばかりです。演出家の知名度にこだわる必要はありませんが、国際的に通用する表現のレベルを理解した、若く瑞々しい感性を持った人(もしくはチーム)が担当するということが必須なのではないかと思います。

もう1つは、東京五輪が終わった後の話です。リオ五輪を受けて、東京五輪に向けて頑張ろう!みたいなスローガンがあちこちで聞かれるようになってきましたが、選手の皆様も、日本経済も、4年後はいいとしてもその後は息切れ状態になり、燃え尽き症候群に陥ってしまうのではないかと今から心配しています。

聞けば、今回のリオ五輪で、イギリスはロンドン五輪の時よりもメダルの数が多かったそうですね。日本のスポーツ界も、日本経済も、4年という期限にこだわらない長期的な視野に立った発展計画が必要なのではないかと思います。

 

ともあれ、今はリオのパラリンピックを楽しみにしています。

 

【シン・ゴジラ】は究極のお仕事映画だ。

 

シン・ゴジラ】 については、もう既にいろんな人がいろんなことを書いていらっしゃいますが、やっぱり私にも少しだけ書かせてください!

 

最初、一瞬、官僚や自衛隊ばかりをかっこよく描きすぎでは?と思いましたが、現在の日本に実際にゴジラのような災厄が現れたとしたら自衛隊以外に対処できる機関はなく、その自衛隊を制御できるのは政治家や政府だけなのだから、こういうストーリー展開になるのはある意味当然の帰結なのだろうと思いました。

 

主役の矢口蘭堂みたいな官僚は、人間性はどうでも、やることをちゃんとやってくれる官僚がいればいいな、という理想像なのだと思います。実際、官僚には、鼻持ちならない人間性と崇高な使命感が奇妙に同居している人が少なくないという印象があります(自分が知っている範囲内のごく少ないサンプル数で、しかも全員がそんなではありません。どうもすいません。)。ただ、それほど優秀な人がそうそう存在しているのかどうかは?そんな人がたくさんいるようなら、例えば、日本の借金が1000兆円を超える額に膨れ上がったりはしなかっただろうと思われるので……。

 

会議のシーンが多いのは、多くの方のご指摘の通り、日本で実際に物事を動かそうとしたら、一見無意味にも見える無数の会議が欠かせないということの正しい描写なのだと思います。そうして、実際にありそうな手順を踏んで、実際に何とか実施できそうな幾多の仕事を積み重ねることでゴジラを倒すからこそ、この映画は、仕事をすることで社会に関わった経験がある人間にとって胸熱なのだと思います。

 

それぞれの人がそれぞれの持ち場から1つの大きなプロジェクトに関わってこれを成し遂げる。そういう意味で、私がこの映画を見て真っ先に思い出したのは、矢口史靖監督の【ハッピーフライト】でした。
シン・ゴジラ】はいろいろな見方を許容してくれる映画だと思いますが、私がこの映画を“究極のお仕事映画” でもあると思ったのは、そのような理由からでした。

 

最近見た映画 (2016/08/11版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

シン・ゴジラ
初代ゴジラに匹敵すると言っていい邦画最高峰のディザスター・ムービーであり、また究極のお仕事映画なのではないかと思う。尾頭課長補佐こと市川実日子さんが意外な人気を博しているのがちょっと嬉しいです。

 

パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト
人生の最後に3曲だけ好きな曲を聴いていいと言われたら、ピアソラパコ・デ・ルシアムーンライダーズにすると思う。圧倒的なリズムの中に宿る熱情的な魂。このかっこよさが分からない人とは友達になれなくていい。

 

奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ
落ちこぼれクラスの生徒達が、ナチスに関する研究発表を通して学ぶということ自体を学んでいく、という実話を基にした話。図体は大きくても中身はまだまだ発展途上な子供達が真剣になっていく様がいい。フランスの学校の他民族ぶりも見どころの一つ。

 

セトウツミ
大森立嗣監督はバディものに長けているかもしれない。菅田将暉さん×池松壮亮さんだからこそできたのかもしれないけど、ほぼワン・シチュエーションのみの会話劇だって映画は成立し得るという事実を、日本映画界は真剣に受け止めた方がいい。

 

いしぶみ
学徒動員で広島の爆心地にいてその後全員死亡したという男子中学生たちの記録を、広島出身の綾瀬はるかさんが朗読。杉村春子さんご出演の往年のテレビ番組の焼き直しらしいけど、こういうやり方ならリメイクの意味もあるのかもしれない。

 

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
1950年代のハリウッドに吹き荒れた赤狩りの嵐を生き抜いた脚本家ダルトン・トランボの伝記。映画好きの人はこの辺りの映画史の確認として見といた方がいいと思う。

 

ルドルフとイッパイアッテナ
原作な有名な絵本だとのこと。可愛いけど甘すぎないバランスのよさがいい。日本のごく普通の風景の中の四季の移り変わりの描写にこだわっているのもいい。

 

太陽の蓋
福島の原発の話は、いろいろな人がいろいろな思惑からいろいろなことを言っていて、何が真実なのかさっぱり分からない。ただ分かるのは、マスコミはあまり頼りにならないということと、人類には原発を御しきれる能力はないということだけだ。

 

太陽のめざめ
不良少年の更正をサポートし続ける人々を描いたフランス映画。残念だけど親は選べねぇんだよ!寂しさを言い訳にしてないで早く大人になんなよ!とちょっとイラっとしたが、彼の周りの大人達もきっとそう思っていたに違いない?

 

ヤング・アダルト・ニューヨーク
振り返ってみると、“ちゃんとやっていけている人間として蔑まれることなく扱われたい” という欲求(というか見栄)はあるけれど実際そうではなかった時代というのが、確実に存在していたように思う。ベン・スティラー様はそういう役を演じさせると抜群に上手いよね。

 

疑惑のチャンピオン
癌から生還してツール・ド・フランス7連覇という偉業を成し遂げるも、悪質な組織的ドーピングが発覚して永久追放になったランス・アームストロングの実話の映画化。それでも称号が欲しい人々との永遠のいたちごっこ。スポーツ業界の闇も深い。

 

眼球の夢
いかにも60年代~70年代っぽい由緒正しいアングラ映画といった風情。そして思った以上に“眼球”三昧だった。意味は分からなくてもドンマイ!それがアングラというものだから。

 

シン・ゴジラ】については別項にちょっとだけ書かせて戴いたので、よろしければご参照下さい。

今回は他にこのような映画も見ました。

 

秘密 THE TOP SECRET】はあまり成功した出来とは言えず、特に少しでも原作を読んだことのある人は見るのをやめておいた方がいいと思います。

そもそも、マンガならではの表現ではないかと思われる薪警視正の透明感や純粋性を再現できるような人材は、トウが立った人間ばかりである芸能界には存在していないと思われ(芸能界なんてそうじゃなきゃ生き抜いていけないような世界だからしょうがない)、この時点で、この作品を実写化しようという発想自体がそもそも大間違いなのだと確信せざるを得ませんでした。露口絹子役のキャスティングもひどい。原作とかけ離れた容姿はともかく、このような発展途上の演技力ではお話になりません。他もミスキャストの嵐なのですが、せめて松坂桃李さんが青木捜査官をやればよかったんじゃないかと思ったりします。
それならばせめて原作のエピソードを粛々と映像化すればいいものを、何故、原作では無関係のエピソードを無理矢理つなぎ合わせ、ドヤ顔でこねくり回した挙げ句に焼け野原にしてしまうのか。原作をきちんと読み込んでいないことが丸わかりのラストシーンもひどかったけど、不要なキャラの追加も意味不明。私は大森南朋さんは大好きですが、彼はハードボイルドをやらせるとどうしようもなくクサくなることがあるという悪癖があることを、事前に指摘したスタッフは誰もいなかったのでしょうか。
おそらく、そもそもジャニーズありきでなければこの企画自体が成立していなかったのかもしれず、いろいろと難しい面があったのでしょうが、結果的に、『龍馬伝』【るろうに剣心】の大友啓史監督ほどの監督さんであってもハマらなければどうしようもないということを証明したような映画が出来上がってしまい、かえすがえすも残念に思います。

 

他に、中村誠監督の【チェブラーシカ 動物園へ行く】と【ちえりとチェリー】の併映も拝見させて戴きましたが、【チェブラーシカ…】の新作は、ちょっと可愛らしい方向に寄せすぎなのでは?と思いました。チェブラーシカは確かに可愛いですが、オリジナル作品群のあの得も言われぬ哀愁は、どうしても必須の要素なのではないかと思います。【ちえり…】の方は、チェリーくんの造形は好きだけど、ヒロインのキャラクターには共感できる要素が少なく、もっと検討がした方がいいのではないかと思います。

 

【シリアの花嫁】の思い出

 

いくら書いてもいっこうにうまく書けませんが、やっぱり書いておこうと思って書きました。ご笑読戴ければ幸いです。

 

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最近、【シリア・モナムール】(2014年、シリア/フランス)というドキュメンタリー映画を見て泣きそうになった。

 

それはおそらく、以前に【シリアの花嫁】(2004年、フランス/ドイツ/イスラエル)という映画を見たことがあるからに違いない。

 

これは厳密にはシリアの話ではなく、かつてシリア領だったイスラエル占領下の国境の村の話だ。花嫁というのは国境を越えたシリア国内の親戚筋に嫁ぐことになっている娘で、一度国境を越えてしまうと、国の制度のために二度と故郷の村には戻れない。そうした状況下で暮らす一家の悲喜こもごもが映画の本筋で、それはそれでいろいろと考えさせられる内容だったけど、それよりもっと私にとって印象的だったのは、この映画の中に映し出されていた、シリア文化圏で暮らすごく普通の庶民の、ごく普通の日常生活だった。

花嫁の夫となる男性はちょっと名の知れたコメディアンで、花嫁らがその男性をテレビで見ているシーンが出てきたりする。花嫁の長兄は弁護士、次兄は外国で商売をしており、弟は大学生。姉も専業主婦をしながら大学で学ぶことを画策している。国情の違いがあるとは言え、若い世代の感覚はすこぶる現代的だし、彼らの生活環境は西洋社会のそれと基本的に大きな違いはないように見える。以前からイラン映画を見ながら何度も思ってきたように、彼らは、私達と地続きの世界に住む、私達と基本的に何も違わない人々なのだ。

 

そんな彼らの街がぼろくずのように破壊されてしまい、瓦礫に埋め尽くされているのを見るのは、胸が潰れる思いがした。

 

勿論、【シリアの花嫁】が架空の物語なのは知っている。けれど、あの物語に描かれていたような心優しい幾多の普通の家族の人々が、今、どこで何を考えながら生きているのか。そもそも無事に生きながらえているのだろうか。とついつい想像してしまう。

 

シリア難民は、シリア内戦が2011年に始まった後、元の環境で暮らせなくなり国内の他の地域や周辺の国々などに避難した人々のことで、2千2百万人の国民のほぼ半数が難民になってしまったのだそうだ。昨年からヨーロッパに流入するシリア難民の数が極端に増えたのは、トルコに逃れていた大量の難民が、トルコの国情の変化によりトルコを退去せざるを得なくなり、元々暮らしていた環境にもとても戻れる状況ではないため、ヨーロッパを目指す人々の数が増えたからだということだ。

 

ヨーロッパ諸国の人々にしてみれば、今までとは桁違いの100万人単位の人々が一挙に押し寄せて来たのでは、物理的にも経済的にも心情的にもとても対応しきれるものではないだろう。ヨーロッパが世論を分断するほどの大混乱に陥ったのは当然のことかもしれない。ただ、世論が真っ二つに“分断”されているということは、難民排斥に賛同する人々がいる一方で、今までヨーロッパが理念として掲げてきた道を堅持し、難民に手を差し伸べて救うべきだと考える人々も、まだかなりの割合で存在するということを示しているのではないかと考える。

 

近代のヨーロッパには多数の難民や移民を受け入れてきた歴史がある。私個人が一番最初にヨーロッパへの移民について知ったのは、【マイ・ビューティフル・ランドレット】(1985年、イギリス)という映画を見た時だったと思う。スティーブン・フリアーズ監督とダニエル・デイ・ルイス出世作で、パキスタン人の移民とプア・ホワイトの青年同士の純愛物語。男女の恋愛に少しばかり懐疑的になっていたその頃の自分には、あまりに眩くて心に沁み入る映画だったが、同時に、インドやパキスタンを植民地にしていたイギリスには、彼の地からの移民が多数存在しているということを初めて知ったのだった。

2000年代に入っても【ベッカムに恋して】(2002年、イギリス)なんて映画があって、こちらはサッカーをやりたいと願うインド系移民の女の子のお話だった。(余談になってしまうが、アメリカに渡ったミーラー・ナーイル監督の【ミシシッピー・マサラ】(1991年、アメリカ)や【その名にちなんで】(2006年、アメリカ/インド)などの映画では、海外のインド系コミュニティの暮らしぶりを覗くことができる。)

フランス映画では、マチュー・カソヴィッツ監督の初期の作品【憎しみ】(1995年、フランス)を見た時に、パリ市内にもフランスの植民地であったアルジェリアなどからの移民のコミュニティがあり、差別や貧困の中で暮らすそうした若者たちの不満がくすぶっていることを知った。

またその頃、フランスなどを舞台にしたいくつかの映画で、天安門事件後の中国からの政治難民の姿を見かけることが何度かあったように思う。

その後、アフリカから地中海を渡ってヨーロッパに渡る難民の存在を知ったのは、【13歳の夏に僕は生まれた】(2005年、イタリア)や【海と大陸】(2011年、イタリア/フランス)などのイタリア映画を見た時だった。どちらの映画も、イタリア人が海で難民船と遭遇するエピソードから始まっていたのだが、そりゃそうか。ヨーロッパから海を渡ればすぐアフリカ大陸なんだもの。アフリカの人々も、本国が戦火で混乱していたり、あまりにも貧しくて食べていけなかったり、などという状況が続いていれば、多少の危険を冒してでも生存可能な環境を求めようとするのは当然のことだ。そしてこの頃から、ヨーロッパのニュースの中にアフリカからの難民船の難破事故の話が散見されることが、少し分かってきた。

他にも、ドーバー海峡を泳いで渡ろうとするクルド人難民の少年を描いた【君を想って海をゆく】(2009年、フランス)、密航者の少年と初老の男性との交流を描いたアキ・カウリスマキ監督の【ル・アーヴルの靴みがき】(2011年、フィンランド/フランス/ドイツ)、【最強のふたり】の製作チームがパリで長年暮らす不法移民の青年を描いた【サンバ】(2014年、フランス)、難民申請をパスするため家族に偽装したスリランカ難民を描いた【ディーパンの戦い】(2015年、フランス)なんて映画もあった。また、【パリ20区、僕たちのクラス】(2008年、フランス)や【バベルの学校】(2013年、フランス(ドキュメンタリー))などの教育をテーマにしたいくつかの映画には、実に様々なバックグラウンドを持つ子供達が当たり前のように登場していた。他にも、難民や移民が登場するヨーロッパ映画を探っていくと、枚挙にいとまがないかもしれない。

 

こうした難民や移民の話を聞いていると、必ず思い出すのは、ドイツのファティ・アキン監督のことだ。

昨今、日本でのドイツ映画の公開本数が必ずしも多くない中で、カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭のすべてで受賞経験を持つファティ・アキン監督は、【愛より強く】(2004年、ドイツ/トルコ)、【そして、私たちは愛に帰る】(2007年、ドイツ/トルコ/イタリア)、【ソウル・キッチン】(2009年、ドイツ)、【消えた声が、その名を呼ぶ】(2014年、ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/ポーランド/カナダ/トルコ/ヨルダン)など、近作がほぼ全て公開されている数少ないドイツ人監督だ。というか、私はドイツ人の若手の映画監督というと、ほぼファティ・アキン監督しか知らないかもしれない。

このファティ・アキン監督は、ドイツに移住したトルコ系移民の2世である。

私は、ファティ・アキン監督の存在によって、ドイツには、トルコなどからの移民を長年積極的に受け入れてきた歴史があったのだと言うことを初めて知った。

ドイツの移民政策は、現状では様々な側面で問題となっている部分もあるのだろうが、彼らの存在が第二次世界大戦以降の慢性的な労働力不足を補い、ドイツという国の国力の安定に寄与してきたという事実を無視してしまうのはフェアではないだろう。何しろ、国民の5分の1が移民のバックグラウンドを持っているという驚くような数字もあるから、労働者としても国内消費者としてももはや到底無視できるような存在ではないはずで、彼らを排斥しさえすればすべての問題がたちどころに解決するような単純な話ではないことは明白なのではないかと考える。

また私には、ファティ・アキン監督のような人の存在自体が、移民の2世・3世の人々の一部はこれからのドイツを担う人材に確実に成長しているということを示す証左だと思われてならないのである。

 

ちなみに、ドイツのトルコ系移民を描いた映画には【おじいちゃんの里帰り】(2011年、ドイツ/トルコ)という若手のトルコ系ドイツ人の女性監督による作品もある。

今回いろいろ調べていて、たまたま監督のインタビュー記事を見つけた。

http://www.c-cross.net/articles/movie/yasemin-interview1402.html

移民・難民とひとくくりに語ってしまいがちだが、彼らの一人一人が、私達と同じように、異なる歴史や人格を持つ異なる個人であるということに、常に思いを馳せ続けなければならないだろう。

 

何のために映画を見たいと思うのか、という問いへの答えをここ何年かずっと探していたのだが、一見理解しがたいと思える人々や物事を理解するための想像力を養うため、というのがその理由の一つではなかったかと、最近思うようになってきた。