読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おばさんシネマ

最近見た映画など。

最近見た映画 (2017/05/03版)

 

ここ2ヵ月でこんな映画を見ました。

 

彼らが本気で編むときは、
私の好きなものばかりたくさん詰まった映画。リンコさんとマキオくんのカップル最強!周りの人物の描き方も丁寧。そして、ち○こを108個編んで供養するという発想がぶっ飛んでいて素晴らしい。

 

わたしは、ダニエル・ブレイク
費用を効率的に使うためであるはずのシステム化が人間性を蹂躙し追い詰める。これはきっと現代のどこの社会にもある話。最後の巨匠ケン・ローチ先生、どうかどうか、まだまだ頑張って戴きたい……。

 

午後8時の訪問者
そうやってあまりに非人間化された社会の中、人間性を取り戻そうとする試みが一方で地味に始まりつつあるのではないかと思うこともある。良心という一見陳腐に思える概念がその鍵となる。

 

バンコクナイツ
タイの歓楽街の映画と聞いてもピンとこなかったけど、日本社会とこんなにダイレクトに繋がっているんだな。そして何よりも、あまりに映画的としか言いようのないこのダイナミックさと豊穣さに驚かされた。

 

ヨーヨー・マと旅するシルクロード
ヨーヨー・マさんが音楽で世界と戦っているように、美しいものや楽しいものや可愛いものや光り輝くもので世界と戦いたいと思う。昔アルバムを買ったガイタ吹きのクリスティーナ・パト姐さんが超カッコイイおばさんになっていて痺れた。

 

娘よ
パキスタンイスラム部族の村で幼い娘が結婚させられそうになり母親と逃げる話。普通あそこで親切なトラック運転手は通り掛からないと思うが、実際逃げるということはそれだけ至難の業なんだろうなぁ……。

 

夜は短し歩けよ乙女
この圧倒的なイマジネーション!湯浅政明監督は控えめに言って天才!原作は5ページで挫折したが、このような形で映像化してもらえると咀嚼することができてありがたかった。

 

タレンタイム 優しい歌
マレーシアの巨匠ヤスミン・アフマド監督の遺作。暴力と不寛容の時代に、ユーモアを持って生きる方法を説く。本当につよくてやさしい人じゃなきゃこういう映画は創れないと思う。

 

お嬢さん
スレた人間ばかりが出てくる心寒い化かし合いの話かと思っていたら、とんだロマンティック純愛ストーリー(女性同士)だった。ヘンな日本語でもオッケーイ。今の日本にこの役が演じられる若い美人の女優さんはほとんどおらん。

 

チア☆ダン
そんな今の日本でイチオシの若手女優トップ2がご出演。内容的には【スウィングガールズ】のn番煎じのような気もするが、わざわざ実話を探してきてこれだけ丁寧に作られていたら文句は言えねぇ。

 

サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ
人々の生活の中から立ち上がってくるフラメンコの生々しさがとても好み。個人的にはカルロス・サウラ監督の【フラメンコ】に次ぐフラメンコ・ドキュメンタリーの名作だと思う。

 

ムーンライト
ゲイの少年がアイデンティティを求めて彷徨う。これまで描かれ難かったアメリカ社会の様々な様相を映し取る本作がアカデミー賞の作品賞になったところに、アメリカの内面的な変質を感じた。

 

未来よ こんにちは
夫に離縁され、認知症の母に先立たれ、仕事も絶不調で、孤独まっしぐらの中高年のヒロイン。まったくもって他人事じゃないこの寄る辺なさも、お友達にして生きていくしかないんだよねぇ。

 

はじまりへの旅
ちょっと変わったパパと森の奥で暮らす6人の個性的な子供達。こんな役があまりにもピッタリなヴィゴ・モーテンセン様。こんな人達もいるのかも?と思わせるところも、またアメリカの懐の深さ。

 

人生タクシー
イラン政府から映画製作を禁止されているジャファル・パナヒ監督。今回は“車載カメラがたまたま撮った映像”としてタクシー運転手を主人公にした本編を制作。映画への飽くなき執念が凄すぎる。

 

モアナと伝説の海
そもそもハリウッド映画は世界中の文化を食い散らかしているので、ディズニーがポリネシア文化を食い物にしているという批判は今更。本作を見てポリネシア文化を理解した気にさえならなければいいんじゃないの?

 

しゃぼん玉
一歩間違えるととんでもなく陳腐になりそうなストーリーだけど、市原悦子さんや綿引勝彦さんの演技の安定感が半端なく、安心して見ていられた。それに私、林遣都くんが出てるとどうも見ちゃうという癖が……。

 

メットガラ ドレスをまとった美術館
服飾の歴史を美術史に組み込むのはいいとして、資金集めのためとはいえ年一回ハリウッドセレブを招いてどんちゃん騒ぎするのをシステム化する必要があるのか。良くも悪くもアメリカ文化の縮図だなーと感じる。

 

汚れたミルク あるセールスマンの告発
グローバル企業の不正を告発しようとした個人が受ける妨害、という英雄物語に留まらない様々な位相を見せる本編は、現代社会のままならなさそのものを表現しているのかもしれない。

 

ひるね姫 知らないワタシの物語
夢の世界と現実世界のリンクが分かりにくいというか、ちょっとご都合主義的では?あと、元岡山県人としては、他県人の話す岡山弁がどうしても不自然に聞こえてしまうのは致し方あるまい。

 

 

3月からこの方、自分史上かつて無いほど仕事が忙しい日々が続き、法事が重なり、その間にイベントがあり……もともと虚弱な私めは、ちょっと疲れました。例年より見ている本数も全然少なく、もう終わってしまっている映画ばかりですが、自分の備忘録として挙げておきます。

 

最近見た映画 (2017/02/25版)

 

最近、こんな映画を見ました。

 

沈黙 サイレンス
個人的にはマーティン・スコセッシ監督の最高傑作なんじゃないかと思う。もしかしたらこのまま今年No.1になってしまうかもしれない。

 

サバイバルファミリー
おそらく、先の震災時に停電で右往左往したひ弱な都会の人間(私も含め)がモデルだけど、電気がなくなったらどうなるかというのは非常に重要な思考実験だろうとは思う。ついでに家族の絆を再構築する話でもある。

 

牝猫たち
デリヘルで働く三者三様の女性達。ふわふわと実態のない今の社会のある側面が彼女達に投影されている、と思って見ると興味深い。個人的には今回の日活ロマンポルノのリブート企画の中で一番面白かった。

 

未来を花束にして
イギリスの女性参政権運動を描いた物語。女に政治を考える能力はな~い !! という有形無形の様々な攻撃にどっと疲れる。何故か【マルコムX】を思い出し、権利獲得の歴史とは戦いの歴史である、としみじみ反芻した。

 

ショコラ 君がいて、僕がいる
20世紀初頭のフランスで、差別や偏見に翻弄され時代の波に消えていった天才黒人芸人ショコラ。白人の相方との一筋縄ではいかない関係が切なかった。

 

恋妻家宮本
妻への愛を再確認する中年男。遊川和彦先生はもしかして、原作などの縛りがあった方が突飛な方向に走りすぎなくていいのではあるまいか。

 

海は燃えている イタリア最南端の小さな島
アフリカや中東からの難民の波に晒される島の人々の静かな生活。思うところのあった皆様には【海と大陸】や【13歳の夏に僕は生まれた】などをお勧めしてみる。

 

ANTIPORNO
何かを語り出す前にイメージ映像の羅列で終わってしまった印象。園子温監督、これなら引き受けない方がよかったのでは? でも昨今“平凡な中年女性のエロス”市場を一手に引き受けている筒井真理子先生だけでも見る価値はあるかもしれない。

 

たかが世界の終わり
家族内に軋轢があったりするなんてよくある話よねー、という私なら1分で終わってしまう話を100分に引き伸ばすのがグザヴィエ・ドラン・クオリティ。でもこれまでの同監督作の中では本作が一番好きだったかな。

 

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う
愛が醒めていた妻を事故でいきなり失った男の逡巡に寄り添う。地味と言えば地味。この男がジェイク・ギレンホールさんでなければ成立しなかったかもしれない。

 

ゾウを撫でる
映画を作る様々な人々を丁寧に描いた群像劇。もう少し強めのキャラやエピソードを核にした方が遡及しやすかったのでは?と思うけど、佐々部清監督は敢えてそういうのではない方向性で描きたかったのかな?とも思う。

 

 

今回はこの他に、【人魚姫】(チャウ・シンチー監督)【なりゆきな魂、】【島々清しゃ(しまじまかいしゃ)】などの作品も見ました。【愚行録】や【ホワイトリリー】はイマイチだったかな。
今回は家族が一瞬入院してしまったりして、思った以上に更新が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。それにしても。今年は見る本数がぐっと減りそうだという予感はありましたが、思った以上かもしれません。

 

ところで、清水富美加さんのことが少し騒がれていますね。伝えられている情報から想像するに、彼女を広告塔にしたかった宗教団体側と、彼女がいた芸能事務所側の思惑が一致せず、双方であることないことをぶつけ合っている状態に見えるのですが、どうなのでしょう。
私はこの件に関して言いたいことが1つだけありました。私は、彼女が朝ドラの後に出演していたテレビ東京『SICKS』というドラマの、マユきち先生役が大好きでした。この役を演じる彼女を見て、この人はなんて感受性に溢れていてなんて才能があるんだろう、と感動に近いものを覚えたことが忘れられません。だから、彼女がかつて携わったいくつかの仕事に関してネガティブな発言をしているのを聞き及び、もし彼女がこのドラマの仕事のこともあまり好きではなかったとしたら、それはとても悲しいかもしれない、と思いました。
芸能界という特殊な世界にいれば、本当に吐き気がするような嫌な仕事だって少なかならずあるのかもしれない、ということは想像に難くありません、が、それを口に出すのはよくよく考えてからにしてもらえないものでしょうか。芸能界は夢を売るのが仕事だし、かつてそこに携わることになった過程には自分自身の意志が少なからず介在していたはずですから。だからと言って総てをただ黙って我慢しろと言っているのではありませんけれども。

 

鈴木清順監督のご冥福をお祈り申し上げます。宮崎駿監督、新作お待ち申し上げております。YOI熱は続行中。毎度とりとめがなくてすみません。

 

映画【ゴンドラ】の思い出

 

伊藤智生監督の【ゴンドラ】という映画のリバイバル上映があり、大昔にテアトル新宿で観て以来、ほぼ30年ぶりくらいに拝見させて戴きました。

伊藤監督は、このたび30年ぶりに二作目の劇場用長編を撮ることを決意し、その決意をより確かなものにするために本作のデジタルリマスター版を作成したそうです。そして、2/11から2/24までの2週間、ポレポレ東中野で、このリマスター版の上映が行われるそうです。

私が見たのは、それに先だって行われたユーロスペースでの35ミリフィルムの上映でした。このフィルム版は、経年劣化はあっても、まだ何とか上映可能な状態だったとのこと。そして今や、35ミリフィルムを上映できる映画館は都内でも数えるほどしかない、と聞くと、やはり歳月の流れを感じてしまいますね……。

 

 

私が【ゴンドラ】に思い入れがあるのは、この映画がかつて、【戦場のメリークリスマス】、【ゴダールのマリア】、パトリック・ボカノウスキー監督の【天使】などともに、自分を映画という底なし沼に引き摺り込んだ映画のうちの1本だったからです。

海外との合作映画だった【戦メリ】などは別にして、それまでの日本映画は、泥臭いとか暗いとか、はたまた過度にミーハーであんまり中身がないとか、そういうダサいイメージでした。(当時の自分はまだ、角川映画なんかを穏当に評価できるほど、こなれていなかったし。)そういった固定概念を完全に覆して、日本映画にも観るべき作品はあるからちゃんと向き合わなければならないのだ、ということを決意させてくれたのがこの映画でした。

 

 

でも実際に再見してみて唖然としました。というのも、内容をほぼ忘れてしまっていたからです!

主人公の少女のちょっと衝撃的な登場シーンもそうですが、もう一人の主人公というべき青年の存在がすっぽり抜け落ちていたのにはかなり驚きました。そして、青年を忘れていたということは、清掃用のゴンドラに乗ってビルの窓を拭いている青年の登場のシーンも、その後のストーリーもほぼ忘れていたということで、少女が死なせてしまった小鳥の埋葬場所を探すくだりも、青年の故郷の寂れた漁村も、あまりに美しい海の色も忘れていたということで、


覚えていたのは、

少女がどこだか分からない線路の上を一人歩いているところと、

熱を出した少女のかすむ意識の端に口論する両親がおぼろげに映るところと、

二人が乗った小舟が夕焼けの海に逆光で浮かび上がるところの、

3つのシーンだけでした。


そう、まばゆい黄金色の海に浮かんだ小舟はまるでゴンドラみたいだった。あれが映画のラストシーンだった。


不思議なもので、観ているうちに、忘れていたはずのいくつものシーンも記憶のどこかに刻みつけられており、確かに以前観たことがあったと思い出されてきたのです。

そういえば当時、青年が微妙な年頃の少女を連れ回すなんて話がちょっと危うく感じられて(実際は少女が青年につきまとっていたのですが)、途中まで少しハラハラしながら見ていたことも思い出しました。でも結局は、世知辛い世相に毒されている自分を見つけて、少し哀しく感じただけでした。この二人はただ、歪みのない魂のありかを求めて、きょうだいみたいに寄り添って彷徨っていただけだったからです。

 

 

実は、映画を再見する前は、もしかしてこの映画が記憶の中だけで過度に美化されているんだったらどうしようって、少々おっかなびっくりでした。でもそんな心配は杞憂に終わり、この映画が長年思い続けてきた以上に素晴らしい映画だったことに安堵し、感謝したい気持ちになりました。

もし機会がありましたら、皆様も是非一度ご覧になってみて戴けると嬉しいです。

 

『ユーリ!!! on ICE』ってどんな話?と聞かれたら


もし、知人の中年男性・中年女性諸氏に『ユーリ!!! on ICE』ってどんな話?と聞かれたら何て答えたらいいのかな?と、この間から考えていて。

で、なけなしの記憶を総動員して頭の中で検索を掛けたら、自分の中で一番近いと思ったのは『エースをねらえ!』だった。なぜなら、スポーツを扱った漫画やアニメは多いけど、師弟関係を濃密に描いた作品はあんまり思い当たらなかったから。

ただ、『ユーリ…』では宗方コーチと藤堂さんは同一人物で銀髪のロシア人で、岡ひろみは男性だけどね。で、『エース…』ではひろみと藤堂さんはコーチに交際を止められてるけど、『ユーリ…』では関係がどんどん進展していくけどね!

付け加えるなら、銀髪のロシア人はフィギュアスケートの世界でリビングレジェンドと呼ばれるほどの神の申し子のような存在で、主人公は小さな頃から彼に崇拝に近いくらいの尊敬と憧れを抱き続けてきた、という辺りかな。で、主人公の実家は唐津をモデルにした架空の地方都市の温泉旅館で、好物はカツ丼なの。で、これにロシア人の後輩の美少年(ヤンキー)が絡むの。

大体合ってる?

 

『ユーリ!!! on ICE』が怒濤のラブ・ストーリーだった話(前編)


去年の終盤から『ユーリ!!! on ICE』にどハマリしてしまった話は先日ちょろっと書きましたが、『ユーリ!!! on ICE』の何がこんなに自分の心を捉えてしまったのか……?

本格男子フィギュアスケート・アニメであり、主人公や10人以上いるライバル選手それぞれのSP(ショートプログラム)とFS(フリースケーティング)に本格的な楽曲と振り付けが用意されていて※、ルールも現実の試合に則っているから、まるで本当にフィギュアスケートの試合を見ているような気分になってしまうとか、メンタルが弱かった主人公の勝生勇利くんがどんどん強くなる、というスポ根成長物語や自己実現物語的な側面もあるとか、ひとことでは言い表せないくらい様々な要素が絡み合っていると思うのですが、まず何よりも、この話が、世界中の他のどこでも見たことがないような濃厚なラブ・ストーリーだった、という点が一番肝心なのではないかと思います。

クラシックの流用や一部だけの振り付けもあるけれど、2/3以上はオリジナル曲だし、いっちゃん好きな『愛について~Eros』なんて日本のフラメンコ・ギターの第一人者の沖仁さんがギター弾いてるし、振り付けは日本のフィギュアスケートの振付師の第一人者の宮本賢二さんに20曲分くらいしてもらっているんだよ?で、テーマソングはディーン・フジオカさんのオリジナル曲だよ?凄くない?

何でこんな話を書こうと思ったのかというと、この話が“師弟愛”の話だと強弁する人をたまに見掛けるから。確かに主人公の勇利とヴィクトルの関係の中には“師弟愛”の要素が強くあることは全く否定しませんが、どう考えたってそれだけじゃないでしょう?

子供とかならまだともかく、いい年こいた大人で彼らが恋愛関係にあると言いたがらない人達の思考回路は私にはさっぱり理解できませんが、それが“同性同士の恋愛なんて商売にしづらいから”という理由でやっきになって恋愛要素を払拭させようとする人達の思惑だったりしたら大変に嫌なので、声を大にして「これはラブ・ストーリーですから!」と吹聴したくなったのです。

大体、
恋人でもないのにあんな手の握り方は絶っっ対にしないし(特に物語後半)、
成人男性が恋人でもない成人男性を「スリーピング・ビューティ」(眠り姫、または眠れる森の美女)と呼んだりなんて絶っっ対にしないし、
成人男性が恋人でもない成人男性にリングを贈ったりなんて絶っっ対にしませんから!
ていうか、ヴィクトルさんはご丁寧に「エンゲージリングだよー」「金メダル取ったら結婚だよー」ってはっきり言ってるじゃないですか……。どこの単なる師弟がエンゲージリングを交わすんだよ。
(余談ですが、個人的には、勇利くんは、ロシア人が右手に結婚指輪をすることを絶対知ってたと思います。8ヵ月も一緒に暮らしてたんだから。)

ある時期以降の彼らはプラトニックですらなくなっていると個人的には確信していますが、本当にそういう関係なのか、それがいつからなのか等々は人それぞれにいろいろな解釈があるみたいなので触れません。ただ、彼らの関係に恋愛は入っていないという主張に付き合うのはあまりに面倒くさいし、そのような主張は本作の真価を半分以下に減らすに等しいと思っているので、この文章はそういう前提で話を進めさせて戴きます。

しかし正直言うと、私自身も、途中まではどちらかというとBL的な匂いを少し警戒しながら見ていたように思うんですよね。そういう傾向が、作品が一般的に受容される余地を狭めてしまうように思えたから。でも、意に反し、誰かが誰かを全身全霊かけて愛する姿を真正面からド直球で見せつけられて、途中から何かの回路がブッ壊されてしまったみたいに「だーっ !! お前らもうさっさと結婚しちまえ!」に変わってしまっていました。はい、私が浅はかでした。申し訳ありませんでした!
同性同士のカップルというと、同性愛とかBLとかホモとか言って拒否してしまう人も少なくないのかもしれませんが、そういう理由で本作を切り捨てて分かったつもりになっても実際は何も理解していることにはなりませんよね。あなたがもしヘテロセクシャルで、同性同士のカップルとかそういうものはどうしても受け付けられないというのなら……アニメは嗜好品なんだし、無理に見る必要はないのでスルーして戴いて構わないとは思うのですが、この話の何がそんなに熱狂を巻き起こしているのかを一切見ようとしないのは、格好のフィールドワークの素材を無視するという意味で、非常に勿体ないと思うんですよね。あなたがもし何らかの創作活動に携わっている人なら尚更です。
もしかしてあなたは、“主人公と自分を同化させる”という見方をしているのではありませんか?いや、誰もあなた自身に同性を好きになれとか言ってないですよ?むしろ主人公達を傍目で眺めるスタンスでいいんじゃないですか?例えば、見た目は普通だったけど実はもの凄い特技を持っていた昔のクラスメイトとか、よく知らないけど何かの大会に出ているらしい遠い親戚の子とか、そんなふうに思えばいいんじゃないでしょうか。その子が本業でもの凄く頑張っていて、どんな形であれ誰かを愛して幸せになったのだとして、そうか、よかったね、と思えず蔑んだりしかできないのであれば、それは心が狭いってものなんじゃないですかね?人の恋路はそれぞれだと温かい目で見守ってあげればいいじゃないですか。
あなたが“腐女子”とかなんとか呼んで見下したがっている本作の女性ファンには、カップルのどちらかに自分を置き換えてみたりするタイプの人はむしろ少数派なんじゃないでしょうか。それよりは、あんなカップルがいたら素敵だな、と遠巻きに眺めて尊いものとして拝みたいというか、眩いような愛の中にいる人達を見て嬉しい気持ちになりたいというか心を暖められたいというか、そういうんじゃないですかね。そうすることによって愛というものの存在を信じられるような気がするから。それは愛というものの存在を疑っていて絶望しかけていることの裏返しかもしれないけれど。

あと、あんなふうな主人公達は現実離れしていると非難する人。アニメはそもそも理想を描くものでしょう?それを言うなら、多くのアニメの可愛い女の子キャラ達は、大概みんな現実離れしてるじゃないですか。そんなことを言い出し始めたら、ジブリのヒロインだってほとんど全部成立しなくなりますけど、いいのかな?

ということで中編に続きます。

 

『ユーリ!!! on ICE』が怒濤のラブ・ストーリーだった話(中編)


本作の原案の久保ミツロウ先生と山本沙代監督は、男子フィギュアスケートの世界をアニメにしたいという動機が根本的にあって、そこから外国人コーチと日本人選手の話を発想していったということです。最初は、本作のもう1人の中心人物であるユーリ・プリセツキーを主人公にする案もあったそうなのですが、哀しい話になりそうだったので断念し、ヴィクトル・ニキフォロフと勝生勇利を中心に据えたところストーリーが動き始めたとのこと。そして、原作者すら予期していなかったほど2人の結びつきが強いものになってしまったのだそうです。

最終話まで見て、翻ってまた最初から見てみると、1話から5話まででじっくり温められた2人の関係が、6話以降、加速度的にどんどんギアが入り、10話で最高潮に達したかと思いきや、11話の終わりで大問題が発生して……というジェットコースター的展開が、最初っからきっちり組み立てられていたのだということがはっきり分かってきました。

本作はスケート・アニメなのか恋愛アニメなのか?という疑問をネットで見掛けることがあったのですが、これは愚問だと思います。なぜなら、両方あてはまるから。彼らの人生の根底にはいつもスケートが存在していて、愛も生活も総てがスケートと共にあり、人生とスケートが分かちがたく結びついているから、どっちというふうに分けて考えることは意味がないと思うのです。そして、そのくらいスケート漬けの人達でなければ、世界でトップクラスの選手になることなんてできないんじゃないかと思います。
でも、スケートがなければ愛せないの?それはちょっとなんだかなー、ということであれば、彼らはスケートを入口にして愛や人生について学んでいるのだ、ということではどうでしょうか。

主人公の勇利は人見知りで自分に殻を作って閉じこもりがちなキャラクターですが、ヴィクトルとの出会いにより、家族や、ミナコ先生や西郡ファミリーなどに代表されるような地元の友人や支援者やファンなどの、周囲の様々な人達に支えられて今までスケートを続けてこられたことを理解するようになります。(主人公が人見知りという設定を利用して、かなり少人数に集約しているけれど、この辺りの人物配置がものすごく上手いと思います。)また、ライバル達も、戦う相手ではあるけれど氷の上で同じ目標を目指す同志でもあることもヴィクトルから教えられます(5話)。「今までずっと一人っきりで戦っていると思っていた。でもヴィクトルが現れてそれは一変した」(4話)と言うように、彼はこれまでも様々な愛に包まれて生きてきたのだということに気づくことができたのですが、その変化の中心にあったのが、幼い頃から崇拝に近い憧憬を抱き続けてきた大切な人、ヴィクトルとの関係でした。
1話の「僕は一人で滑っていく」が、最終話では「一人で抱えるには大きすぎる夢じゃなきゃ辿り着けない場所がある」に変化するのが、ドラマチックじゃなくて何なのでしょう。

一方、ヴィクトルには、「スケートから離れて頭の中に浮かぶのは2つのL、LifeとLoveだ。20年以上俺がほったらかしにしてること」とつぶやくシーンがあります(10話)。ということは、ヴィクトルは5歳前後からスケート一筋の人生だったんですね。
ヴィクトルの話の内容からすると、普通に何人かの人と付き合ったりはしていたみたいですが、2話の始めにコーチのヤコフに軽くキスして「ゴメンね」と言って別れを告げるシーンや、7話で勇利を泣かせた後に「泣かれるのは苦手なんだ。キスでもすればいいのかい?」と言い放つシーンから類推するに、深入りしたりせず、相手の気持ちに寄り添うこともなく、泣かれるとキスして黙らせて、こじれる前に「ゴメンね」と言ってあっさり別れてしまうような浅い付き合いを繰り返してきたのでは……と想像してしまいます。何せ彼にとって一番大切なのはスケートで、他のことはそれほど重要ではなかったのではないでしょうか。
そんな彼は、あまり長く王座に居続けたことで“もうみんな何をやっても新鮮には驚かない”(3話)状態になってしまったことに行き詰まりを感じており、「いつだって新しい気持ちで滑っていればみんな驚いてくれる。自分の首を絞める枷でもあった。新しい強さは自分で創り出すしかない、ずっとそう思ってた」(11話)と独白しています。
そんな彼に、20年以上ほったらかしにしてきたLifeとLoveをもたらしてくれたのが勇利でした。「勇利の持っているLifeとLoveは、俺が今まで触れたことのない新鮮な世界を教えてくれた」(10話)「今は勇利を通して新しい感情が俺の中に流れ込んでくる」(11話)というヴィクトルの独白……私は泣けて仕方ありません。
ヴィクトルは勇利に「勇利は俺にどの立場でいてほしい?父親的な?兄?友達?じゃあ恋人か(……頑張ってみるか)」(4話)と尋ねますが、勇利は「ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい」と答えます。これは非常に重要なセリフかも……と思っていたら、最終話の山場のシーンにも出てきたのでやはり重要なのでしょう。何かの役割を期待するのでなく、あなたがどんな人でも、ただありのままのあなたでいてほしい。ヴィクトルにそう告げた人はもしかしたら今までいなかったのかもしれません。

そんなヴィクトルに愛を捧げるように滑る勇利。その姿をうっとりと眺めるヴィクトルは、まるで恋する乙女みたいです。
スケートを介したヴィクトルと勇利の関係は、単なる恋人とか師弟関係とかを超えた、世界中の他のどんな関係とも似ていない、唯一無二の関係であるように思えます。

そのヴィクトルのセクシャリティを示唆する、気になるエピソードがあります。
2話のヴィクトルは、最初、勇利とミナコ先生の仲を疑っていたみたいで、勇利に「ミナコが好きなのかい?」と尋ね、外出した勇利の行き先が「ミナコさんのとこかアイスキャッスル(スケート場)」と言われて面白くなさそうな顔をします。(この時のヴィクトルの表情がいい!)まぁ、すぐに持ち前の行動力を発揮してミナコ先生の経営するバーに偵察に行き、ミナコ先生はバレエの先生で勇利は熱心な生徒にすぎなかったことが分かるのですが(そしてそのミナコ先生が勇利にフィギュアスケートを勧めたという設定です)、ここで肝心なのは、ミナコ先生は勇利の母親の先輩で、おそらくアラフィフくらいだと思われ、勇利とは文字通り親子ほど歳が離れているということ。でもヴィクトルはそんなことは意に介していないみたいですね。
そもそも最初に勇利に「好きな女の子はいるの?」と尋ねるシーンも、10話を見た後に見るとあれ?と思いました。……もしかしてヴィクトルは、愛の形にこだわらず、どんな愛でも受け入れるタイプの人なんじゃないでしょうか
ヴィクトルは男性しか愛せないタイプには見えないのですが、バイセクシャル両性愛者)というよりは、パンセクシャルとかオムニセクシャルとか呼ばれる全性愛者のような存在であるような気がします。それは、相手の男性らしさや女性らしさに惹かれるのではなく、そもそも性別なんてどうでもよく、その人自身の性格やその人との相性によって恋に落ちるといった性質。そもそもヴィクトルは、世界選手権でもグランプリファイナルでも5連覇を成し遂げているような掛け値なしの天才なので、ちょっと常人と違った性質を持っていても不思議じゃないと思うのです。
ちなみに勇利は、優子ちゃんが初恋の人だったみたいだから(西郡くんと結婚して今や三つ子の母ですが)、普通に女の子を好きになる人だと思われますが、彼にとってのヴィクトルは、小さな頃から優子ちゃんすら凌駕していたほどの特別な存在だったようです。

最初の頃、勇利はヴィクトルのことを「神様がそばにいてくれるようなシュールさ」(4話)なんて表現したりしていますが、この崇拝に近いような感情は最後まで尾を引き、最終話前になって大問題に発展してしまいます。

ということで後編に続きます。

 

『ユーリ!!! on ICE』が怒濤のラブ・ストーリーだった話(後編)


(注:今回は特にネタバレ成分および手前勝手な解釈成分が高いので、嫌な方は読まないで下さいね。)





勇利の様子が時々おかしくなるところはそれまでも度々見受けられたのですが、まさか最終話の直前でヴィクトルに別れを告げるとは……。
別れと言っても、自分は引退するからコーチをやめて現役に戻って下さい、ということなのですが、関係がこじれたまま離れてしまったらもうそれで終わりになってしまうかもしれないじゃないですかー !!

ゆ、勇利さん?ヴィクトルに事前に何の相談もなくいきなりそれはちょっとひどくない?……と思いましたが、それはこちらがヴィクトルの視点も含めた俯瞰的な立場から見ているからそう思うのであって、ヴィクトルの長年のファンでもあった勇利は、ヴィクトルが現役生活を休んで勇利のコーチをしていることに強い負い目があり(「僕のコーチでいることは競技者としてのヴィクトルを少しずつ殺しているのも同然だ」(11話))、いつかはヴィクトルを氷上に返さなければいけないと常々思い悩んでいたんですね。ヴィクトルを神にも等しい存在として崇めていた10年余年のも歳月は、恋人になった短い期間でそんなに簡単に修正できるようなものじゃなかったんですね。そう思うと、4話の「神様、どうか今だけ、ヴィクトルの時間を僕に下さい」というつぶやきが余計切ないですが……。
しかしだからって、「ヴィクトルも泣くんだ……」ってまたひどいことを。ヴィクトルさんを何だと思ってるんですか?あなたの部屋に長年貼ってたポスターじゃないんだからさ。

そんな勇利にヴィクトルは「自分は引退して、俺には競技を続けろだなんてよく言えるよね !? 」と激高しますが……ここからいきなりFS当日になってしまい、「フリーが終わったらそれぞれ自分で答えを出すと決めた」……っていきなり大人の別れ話みたいな結論になっちゃってるしー !! 実はFSの前に公式練習日が1日あったらしいのですが、彼らはこれに姿を現さなかったらしく、まるまる1日分の描写がサラッとすっ飛ばされているのです。そしてFS本番前の二人は完全に破局寸前って雰囲気じゃないですか。えーっ !! 一体何があったのよー !!
でも、滑走直前に交わした会話で二人は何かを理解し合ったらしく、抱き合って泣いている様子なのですが……正直、私はここまでの彼らの心情の流れがちゃんと理解できていなくて、謎だらけで、最終話が終わってからもずーーーっと悩み続けているのです。頼むよーーー公式様!ちょっとでいいから何か教えてくれよーーーーー !!!!!

……私に分かったのは、勇利がヴィクトルに教わったすべてを注ぎ込んだ最高の滑りを見せたということと、その勇利の思いを受け止めたヴィクトルがついに現役復帰を決意したこと、そして、滑っている最中の勇利が、ヴィクトルとずっと一緒にスケートを続けたいという本音を吐露していたことでした。

しかし、勇利に現役復帰を告げたヴィクトルは何とも言えない複雑な表情をしてたんですよね……。この時のヴィクトルは何を思っていたのでしょう……?

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

で、そろそろ、この物語のもう1人の中心人物であるユーリ・プリセツキーにご登場戴かなくてはなりません。

ユーリ・プリセツキーは、ジュニアの世界大会の優勝経験を経てシニアデビュー(大人の大会に出るようになること)目前の15歳のロシア人。ヴィクトルと同じコーチについている後輩です。家庭には恵まれていない様子で、彼に愛を注いでくれた肉親はおじいちゃんだけ。国からの援助を受けており、若いのに一家の大黒柱なので、勝利に対するハングリーさが半端ありません。

ユーリは、勇利に会えば睨みつけて恫喝し、勇利のことを豚・カツ丼・家畜などひどい呼び方で呼び、勇利も最初はユーリに恐れをなしていたのですが、……でも、そもそも最初のシーンで、試合にボロ負けして誰もいないトイレに一人籠もって泣いている勇利のところにどうしてユーリが来ているの?とネットで指摘している人が複数いて……あれ?

そう思って見直してみると、勇利に対するユーリの態度は、好きな子に悪態をつくしかできない、素直じゃない昔の小学生みたいにしか見えなくなってきました。そうしたら最終話で……やっぱりそうか!
そして、勇利の演技を好きなユーリの気持ちが、自分をもっと高めて勇利に勝ち、勇利に認めてもらいたいというモーティベーションに繋がっていたのだと、ほぼ確信するようになりました。

ということで、ユーリの言動を時系列で整理してみました。

1話:勇利のスケーティングに魅かれ、トイレまで追い掛けて行くけれど、メソメソ泣いてる勇利の情けない姿に思わずキレて喝を入れる。その後、バンケットダンスバトル(10話参照)。ダンスする勇利の写真を集められるだけ集めて携帯に大量保存していた。
2~3話:シニアデビューに兄弟子のヴィクトルの力が必要だと考えていたため、日本の勇利の実家にいるヴィクトルを追い掛けてくる。ヴィクトルの気まぐれ?で勇利とスケートで対決することになり、勝ったらヴィクトルを連れ帰る約束をするが、勇利の滑りと、それを見詰めるヴィクトルの様子を見て断念。ロシアに帰り、より強くなって自分の存在を認めさせたいと心に誓う。
4話:リリア先生がコーチに加入。黙々と修業する。
5話:日本国内大会でのヴィク勇の写真を見て携帯をぶん投げ、ミラ(同僚の女子選手)に「妬いてんの~?」とツッコまれる。
6~7話:中国大会のFSでのヴィク勇のキス映像が世界に流出。「ボルシチにしてやる」とキレる。
8話:ロシア大会には勇利もユーリも参加。勇利に対し、勝ってヴィクトルをロシアに残すと宣言(二人を引き離したかったの?)。キスクラでのあまりに親密なヴィク勇にキレて試合前の緊張を忘れる。
9話:ヴィクトル不在で調子の悪い勇利を思わず応援。(ヴィクトルが勇利をロシアに一人残して日本に帰ってしまうエピソードの周到さには唸りました!)試合後も様子のおかしかった勇利をあちこち探し回り、じいちゃん特製の大事なカツ丼ピロシキをプレゼント。この時の珍しく素直なユーリの可愛さったら!
10話:ヴィク勇の婚約を聞きあからさまに動揺。翌朝、海岸に一人佇むヴィクトルに背中から蹴りを入れ、「ヴィクトル・ニキフォロフは死んだ。あんなクソみたいな家畜の世話して何満足げな顔してんだ」「さっさといなくなれジジイ。家畜からもらった指輪はただのガラクタだ。俺が勝って飼い主がいかに無能か証明してみせる」と毒づく。
ここは文字通り、スケーターとしての意欲を失ったかに見えるヴィクトルに対する失望と捉えている人が多いようなのですが、私にはどうしても、勇利をかっさらってしまったヴィクトルへの嫉妬に見えてしまうんですよね……。
11話:SPでヴィクトルの記録を抜く。やったね!その後、キスクラのヴィク勇を蹴っ飛ばし、勇利の隣りに座るサーラ(美人の女子選手)との間にも割って入る。
最終話:勇利が引退するかもしれないことをヴィクトルから告げられ、ヴィクトルに力なくハグされる。(この時ヴィクトルは、ユーリに具体的に何かを告げた訳ではない、と個人的には思っているのですが……。)何かを決意したユーリは、全力の演技で勇利の引退を阻止しようと試みる。「金メダル取れたらやめんのか。ヴィクトルの点超えられたら他はどうでもいいのか。ふざけんな !! 俺をがっかりさせんな !! 豚に食わせる金メダルはねぇっ!」「今引退したら一生後悔させてやるよ。バーーカ!」
演技が終わった時、ユーリは感極まって泣いてしまうのですが、どんな感情が渦巻いていたんでしょうか……。

(……これは完全に個人の妄想レベルの話になってしまうかもしれませんが、私はこのユーリの姿に、少年の恋の終わりを見てしまったんです。)

勇利の滑りを見てヴィクトルが現役復帰を決意するのは予想してたけど、ユーリの滑りを見て勇利が引退を撤回するのは全く予想外でした。

でもここで少し残念に思うのが、時間の関係で、最終話におけるユーリの描写が限られたものになったこと。最終話は、全体的に尺を切り詰めに切り詰めている印象があったのですが、久保先生のお話によると、初回のネームが70Pだったのに対し、最終話のネームは120P(約1.7倍)くらいあったらしく、回想シーンなどを挟めばもう1話作ることが出来るくらいのボリュームがあったようなのです。しかし、テレビアニメの枠組の制約の中ではそんなに簡単に尺を増やしたりできない。そうなると、まずは勇利とヴィクトルの話を中心に描かざるを得ず、その結果、ユーリの描写があおりを受けてしまったのではないかと思われます。実際、本作のスケート曲を集めたサントラにはユーリのエキシビションの曲があるのに、本編には登場しませんでしたよね。

10話のラストにびっくりするようなエピソードが出てきて、これまで信じられてきた勇利とヴィクトルの関係が反転してしまい、もう1度1話から見直さざるを得なくなってしまったように、最終話でユーリが最初から勇利の滑りに魅かれていたことが明らかになったことで、ユーリと勇利の関係も反転し、更にもう1度1話から見直してみたくなってしまう、という驚くほどに周到な仕掛けと伏線が張り巡らされたシナリオだったことに気づいた時、私は身震いしてしまいました。
だからこそ、最終話でユーリの心情をもっとじっくり描くことができていれば、勇利の引退をユーリが最後に覆したというクライマックスと相まって、この話が二人のユーリとヴィクトルの三重奏の物語としてもっと完成されたものになっていたのではないかと思われ、それが完全には果たせなかったと見受けられるところが、少しだけ残念に感じられるのです。

もちろん、これは監督の手腕等々の問題などではなく、完全に時間的制約の問題です。むしろこれだけ中身の詰まった最終話をよくここまでまとめ上げて下さったものだと、山本沙代監督を始めとするスタッフの皆様には心からの感嘆と感謝と畏敬の念しかありません。

それでも、やっぱり最終話に今一つ食い足りなさを感じているのも事実なんですよね~。だから、2期があるなら見たいけどその前に、10話あたりから最終話までのグランプリファイナルの完全版を映画か何かにしてもらえないものだろうかと、切に願ってやみません。あのFS前の空白の1日や、ユーリの心情や、試合後の表彰式からエキシビションに至るまでの諸々のエピソードなどをもう少しじっくり描いて欲しいし、我儘を言えば、エキシビションだって、本当はもっとたっぷり見たかったんです……!

と勝手な願望を書き散らしておいて、やっと話も尽きてきたのでそろそろ本編を終わりにしたいと思います。この作品に携わって下さったすべてのスタッフの皆様と声優の皆様、この作品を全力でこの世に送り出して下さって本当にどうもありがとうございました!

最後まで読んで下さった方がもしいたら。こんな駄文に長々とお付き合い戴き本当にどうもすみません。少しは気が済んだような気がします。どうもありがとうございました。